ナチス=ドイツの侵略と第二次世界大戦の始まりについて

閲覧数:3,154
投稿者:       投稿日時:2013/10/17 20:05      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:9

LINEで送る
Pocket

ナチス=ドイツの侵略と第二次世界大戦の始まりについて考えてみます

 

 

・ナチス=ドイツの侵略と第二次世界大戦の始まりについて

 

 

 ・1938年3月に、ドイツがドイツ民族の統合を名目としてオーストリアを併合した

 

 ・1938年9月に、ドイツ人が多く住むチェコスロヴァキアのズデーデン地方の

  割譲を要求した

  →これに対しては、イギリスのネヴィル=チェンバレン首相が宥和政策をとった

   =そのため、9月の終わりに、ドイツのミュンヘンというところで、

    イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの4か国の首脳会議が開かれた

    ※宥和政策・・譲歩と話し合いによって解決を目指す政策のこと

 

 ・4か国の首脳会議は、チェコスロヴァキア代表を参加させないまま、

  ズデーデン地方のドイツへの割譲を決めた

  ※しかし、ドイツはこの結果に納得しなかった

   →そこでドイツは、1939年3月に、チェコスロヴァキア解体を強行した

    =その結果、西半分のベーメン(ボヘミア)とメーレン(モラヴィア)を保護領にし、

     スロヴァキアを保護国にした

 

  ※この行動に加えて、ドイツはポーランドにも、ダンツィヒ(現在のグダニスク)の

   返還と東プロイセンへの陸上交通路を要求した

   →ダンツィヒは、ヴェルサイユ条約で、国際連盟管理下の自由市になった

   →東プロイセンとドイツ本国を結んでいたドイツ領は、海への出口として

    ポーランドに与えられ、ポーランド回廊と呼ばれた

   →ドイツの行動に刺激されて、イタリアも1939年4月に、アルバニアを併合した

 

 

 

 

 ・一方で、イギリスとフランスは、宥和政策が限界だと感じていた

  →そこで、イギリスとフランスは、軍備の拡充を急いで行い、ポーランドとギリシアの

   安全保障を約束した

   ※そのため、ポーランドはドイツの要求を拒否した

 

 ・イギリスとフランスはソ連とも軍事同盟の交渉にはいった

  ※しかし、ソ連は西ヨーロッパの国々の態度に不信を抱いていた

   →そのため、ソ連はナチス=ドイツと手を組む方向に向かった

    =その結果、ソ連とナチス=ドイツは、1939年8月の終わりに、

     独ソ不可侵条約を結んで世界を震撼させた

 

   →この動きで、ナチス=ドイツが力を得たため、1939年9月1日に、

    準備していたポーランド侵攻を始めた

 

   =この動きに対して、イギリスとフランスがドイツに宣戦したため、

    第二次世界大戦が始まった

 

 

ポイント

・ナチス=ドイツの侵略の様子についておさえる

・第二次世界大戦の始まりまでの流れについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

閲覧数:3,154
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/17 20:05

コメント数: 0
お気に入り登録数:9



コメントを残す