弥生時代について② -農業と生活・住居と墓・集落-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 02:43      
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弥生時代について、

 

 

・弥生時代の人々の農業と生活について

 

 

 ・農業について

 

  ・弥生時代の人々は、すでに田植えをしていた

 

  ・稲作の時には、鋤(すき)や鍬(くわ)、木臼や竪杵などが使われていて、

   石包丁の穂首刈りなども行われた

   ※稲作の時の道具は、最初は磨製石器を使っていたが、

    段々と鉄製工具を使うようになっていった

    →最終的に石器は無くなり、鉄器が普及した

 

  ・弥生時代の最初の方は湿田だったが、段々と乾田に変わっていった

   ※・湿田・・水はけが悪く、水位が高い田んぼのこと

         →水を減らすために排水の仕組みが必要で、生産性は低い

    ・乾田・・水はけが良く、水位が低い田んぼのこと

         →水を増やすために灌漑(人工的に水を入れる)の仕組みが必要で、

          灌漑と排水を繰り返すことで、田んぼの栄養分が良くなるので、

          生産性は高い

 

  ・収穫した物は、高床倉庫という倉庫や貯蔵穴という場所に保管されていた

 

 

 

 ・住居と墓について

 

  ・住居は、竪穴式住居が中心だったが、掘立柱の高床倉庫や平地に作った建物も増えてきた

 

  ・集落に存在する住居の数が増えた

   →集落の中には、環濠集落や高地性集落も多かった

    ※・集落・・村や都市など、いくつかの住居が集まっている場所のこと

     ・環濠集落・・深い濠(ほり)や土塁(土をもり上げることで作る

            砦のようなもの)が周りにある集落のこと

     ・高地性集落・・山の上など、高いところに存在している集落のこと

             →高地性集落を見れる遺跡として、佐賀県の吉野ヶ里遺跡がある

 

  ・死んだ人は、伸展葬(両足を折り曲げない埋葬)のスタイルだった

 

  ・死んだ人は、箱式石棺墓、支石墓、甕棺墓などに入れられていた

   ※甕棺墓には、中国鏡や青銅器などの武器が副葬品として、墓に一緒に入れられている

 

  ・方形周溝墓を始めとして、大きな墳丘の墓が出てきた

   ※・方形周溝墓・・方形の墳丘の周りに溝を作った墓のこと

    ・墳丘・・土をもり上げながら作った小さな山のこと

  

   →なぜ、当時から大きな墓や副葬品が存在していたのか

    =集団の中で身分差が出てきて、各地に大きな力を持つ支配者が出てきたことを

     表していると言われている

 

 

 

 ・集落について

 

  ・集落では、より良い収穫の祈願と収穫の感謝をする神祭りが行われていた

   →神祭りには、青銅製祭器(銅鐸、銅矛、銅剣、銅戈など)が使われていた

 

    ※青銅製祭器が見つけられた場所について

     ・銅剣、銅鐸、銅矛・・島根県の神庭荒神谷遺跡

     ・銅鐸・・島根県の加茂岩倉遺跡

     ・銅矛・・北九州

     ・平型銅剣・・瀬戸内

     ・銅鐸・・近畿

      →地域によって使う青銅製祭器は違ったものの、共通の祭器を使う地域も

       あったことがわかる

    

    ※青銅製祭器は、集落にいる人達の共同の祭りの時に使われる祭器で、

     個人の墓に埋められることは、ほとんどなかった

 

 

 

ポイント

・弥生時代の特徴(農業、住居と墓、集落)を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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