蒙古襲来後の幕府の衰退について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/22 03:54      
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蒙古襲来後の幕府の衰退について考えてみます

 

 

・幕府の衰退について

 

 ・上で書かれた社会の変化によって、社会の様々な発達と変動があった

  →そのため、幕府が苦しい状況になってしまっていたと言われている

 

 

 ・政府が衰退していくまでの流れ

 

  ・蒙古襲来の時に、御家人が懸命に戦ったものの、幕府が御家人に十分な恩賞を

   あげることが出来なかった

   =結果的に、幕府が御家人の信頼を失うことになってしまった

 

  ・御家人の多くは、分割相続が繰り返されたために土地が細かくなってしまったこと、

   貨幣経済が発展していったことなどが原因で、貧乏になっていった

   ※この動きと一緒に、女性の地位が下がっていった

 

  ・一期分(本人一代だけで、その人が死んだ後は惣領に返す、という約束つきの

   相続のこと)が増えた

 

   →幕府は、貧乏な御家人を救うために、1297年に永仁の徳政令という法律を作った

    =永仁の徳政令によって、以下のようなことを行った

     ・御家人の土地を質屋などに預けて借金をすることや、土地の売買を禁止した

     ・永仁の徳政令が出る前に、質屋に預けた土地や、売買した土地を無償で戻させた

     ・御家人が関係する貨幣についての裁判を受け付けない

      ※しかし、効果は一時的だった

 

 

  ・中小レベルの御家人がどんどんダメになっていった

   →その一方で、当時の経済の状況の変化を上手に捉えて、勢力を広げる武士が出てきた

    ※特に、畿内とその周辺では、荘園領主に対抗する地頭や、御家人ではない

     新しい武士などが武力を使うことで、年貢を納めることを拒否したり、

     荘園領主に抵抗したりするようになった

     =このような武士を、悪党と呼ばれるようになった

      →悪党は、全国に広がっていった

 

 

  ・以上のような社会の状況を落ち着かせるために、得宗専制政治を強化していった

   →しかし、得宗専制政治は、御家人の不満が増えることになってしまった

    

 

  →結果的に、幕府の支配が危なくなっていった

 

 

ポイント

・幕府の衰退の様子を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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