化政文化の時の教育と儒学について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/25 04:58      
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化政文化の時の教育と儒学について考えてみます

 

 

・当時の儒学と教育について

 

 

 ・当時、幕府は儒学によって武士を教育することを考えていた

  ※しかし、18世紀の後半に古学派、折衷学派、考証学派などの学問の派閥が出てきた

 

  →この状況で幕府は、寛政異学の禁という法律を作り、武士の教育のために

   朱子学を重視した

   ※寛政の改革の時に、官立の昌平坂学問所という施設を作り、

    そこで朱子学を教えていた

 

 

 ・様々な藩で、藩の武士の教育のために藩学(藩校)という学校を作った

  ※藩学は、最初は儒学だけを行っていたが、後半は洋学や国学も

   行うようになっていった

   →この時に、年齢や学力に合わせた教育を行うという、学級制が出てきた

 

 

 ・城下町から遠い土地に、藩の援助を受けて藩の武士や庶民を教育する施設を作った

  =その施設のことを、郷学(郷校)という

   ※郷学の代表的なものに、岡山の藩主だった池田光政という人が建てた

    閑谷学校というものがある

 

 

 

 ・民間レベルでも武士や学者などが私塾を開かれて、儒学を始めとした様々な

  学問の講義が行われた

  ※代表的な私塾に、大坂の懐徳堂という私塾がある

   

   →懐徳堂について

    ・18世紀の初めに、大坂の町人達がお金を出し合って作られた

    ・寛政の改革の時に、中井竹山という人を学長にして、

     朱子学や陽明学などの講義を行った

    ・懐徳堂から、富永仲基や山片蟠桃という、変わった学者が出てきた

     ※富永仲基と山片蟠桃は、合理主義という立場に立った

 

  ・その他の教育機関として、廣瀬淡窓という人の咸宜園や、

   吉田松陰という人の松下村塾などがある

 

 

 ・寺小屋という、庶民の教育機関が大量に出てきた

  →寺子屋では、読み、書き、そろばんなどの日常で使える教育と、

   道徳教育などを行った

 

  ※寺子屋には、女性の講師もいて、女性の教育も行われた

   →その時に、貝原益軒という人の作品をもとにして作られた「女大学」という

    女性の心得を説明するものもあった

 

 

 ・18世紀の初めに、石田梅岩という人が心学という学問を作った

  →石田梅岩は、以下のようなことを行った

   ・儒教に仏教や神道を混ぜて、日常生活での倫理を解説した

   ・「都鄙問答」という本を書き、商業と商人の大切さと、

    徳目(倹約や正直などの徳の項目)を説明した

 

  →心学は、弟子の手島堵庵や中沢道二という人達によって、全国に広められた

 

 

 →庶民の教育は、出版が盛んになったことが後押しして、都市から農村にまで広がった

  =そのため、読みや書きなどの初等教育が、世界でもトップレベルになったと言われている

 

 

 

ポイント

・当時の儒学教育の様子を押さえる

・当時の民間教育の様子を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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