キリスト教と国民の道徳について -平民主義・国粋主義・教育勅語・キリスト教の導入・内村鑑三-

閲覧数:4,313
投稿者:       投稿日時:2013/11/15 05:16      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:1

LINEで送る
Pocket

明治時代の日本におけるキリスト教と人々の道徳について考えます

 

 

・当時の背景

 ・極端な欧化主義(欧米のように変わっていこうという考え方のこと)の体制を取っていた

  →欧化主義をスムーズに行うという狙いも含め、官僚が国の主導権を握っていた

 

 

 →このような風潮に対して、抵抗した人々が現れた

 

・三宅雪嶺や陸羯南・・国粋主義を提唱した

 

 ※国粋主義・・日本に昔からある伝統を大切にし、欧化主義を批判する考え方

 

 

・徳富蘇峰・・平民主義を提唱した

 

 ※平民主義・・官僚による上からの西洋化ではなく、

        平民による下からの西洋化が大切だという考え方

 

 

 →この2つの考え方は後に論争となった

 

 ※また、当時、岡倉天心という人が、「西洋の根本は力だが、

  東洋の原理は美と精神である」と考えた

  →そのため、岡倉天心は、日本美術の復興と紹介に力を入れた

 

 

 

 

・国民道徳について

 

 ・国民道徳について考えた人の中で有名な人に、西村茂樹という人がいる

 

 ・西村茂樹・・明六社の一員で、「日本道徳論」という本を書いた

        →その本の中で、国家の基本は制度や法律よりも道徳だと

         考えたことを書いた

 

  →西村茂樹は、儒学を基本とした上で、西洋哲学を取り入れたものを

   国民道徳だと考えた

 

 ※国民道徳とは・・日本国民特有の道徳で、日本国民として従ったり守ったりするべき

          だと考えられた道徳のこと

 

 

 →このような考え方も影響し、日本では、「国家の基本を道徳に置こう」

  という雰囲気が広がっていった

  ※その雰囲気の中、1890年に教育勅語が出された

 

 

・教育勅語について

 →忠と孝を中心とする国民道徳を天皇の名前で定めていて、

  道徳と教育において、国家の指導原理だった

  

 

 

・キリスト教の移入について

 

 ・開国から19年後の1873年(明治6年)にキリスト教禁止の高札が撤廃された

  →そのため、外国の宣教師がキリスト教の活発な布教をはじめとして、

   教育や社会福祉活動、廃娼運動などを行った

  ※高札・・江戸時代に法律などを一般の人達にに告示するために

       広場などに掲げた板の札のこと

  ※廃娼運動・・公娼(世間で認められた売春婦のこと)を

         廃止することを目的とした運動のこと

 

  →上のような影響を受けて、内村鑑三や新島襄をはじめとする多くの若い知識人が

   プロテスタンティズムに魅了された

 

  ※新島襄は、同志社英学校を作り、キリスト教的精神主義にもとづく教育を行った

 

 

 

・内村鑑三について

 

 ・内村鑑三は、内面的独立と平等を提唱した

  →キリストを信じる人は、自分の心の面において、道徳に忠実で、

   気高くなければいけないと考えた

 ・無教会主義(教会や儀礼を排除して、直接「聖書」の言葉に基づく信仰を

  するべきだという考え方)を提唱した

 ・キリスト教は、西洋の文明と進歩の根底だと考えた

 ・「二つのJ」(Japan「日本」とJesus「イエス」)は互いに支え合っているから、

  切り離せないものだと考えた

  ※内村の墓に「私は日本のために/日本は世界のために/世界はキリストのために/そして

   全ては神のために」と書いてある

 ・内村鑑三は、上のような考え方から教育勅語の考え方に反対していたため、

  教育勅語に記されていた、「明治天皇の署名を神として扱うこと」という内容を

  拒否して、礼拝をしなかった

  =この出来事を不敬事件と言う

 ・日露戦争の時に、日本の世論は主戦論だった中、内村鑑三は非戦論を提唱した

  →そこで、内村鑑三は「武士道の上に接ぎ木されたるキリスト教」だと考えた

 ・「余は如何にして基督信徒となりし乎」「代表的日本人」などを書いた

 

 

 

・内村鑑三に関連して考えた人達について

 

 ・井上哲次郎-・国家主義の立場に立って、「教育と宗教の衝突」という本を書いた

        ・キリスト教は忠君愛国(王に真心をこめて、国を愛すること)に

         反するものであると考えて否定した

 

 ・植村正久など-・君主(その場所での最高位の人)よりすごい存在である神様の存在を

          認めることで国家が人類の進歩に役に立つことがわかると考えた

 

 ※この2つの考え方は対立し、論争となった

 

 ・新渡戸稲造-・「武士道」という本を書いた

        ・キリスト教が日本で発展するためには、

         道徳の根本である武士道が思い起こされなければならないと考えた

 

 

ポイント

・日本は当時、極端な欧化主義を取っていた

・三宅雪嶺や陸羯南は国粋主義を、徳富蘇峰は平民主義を提唱した

・西村茂樹が国民道徳について考えた

・明治6年にキリスト教禁止の高札の撤廃が起き、それをきっかけに様々な運動が起こった

・内村鑑三は、内面的独立、平等、無教会主義などを提唱した

・内村鑑三は、「2つのJ」や非戦論を提唱した

・内村鑑三が、不敬事件に関連した

・井上哲次郎は国家主義の立場に立ち、キリスト教を否定した

・植村正久などが、神の存在を認めることで、国家が人類の進歩に役に立つと考えた

・新渡戸稲造は、キリスト教が日本で発達するためには、武士道が重要だと考えた

閲覧数:4,313
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/11/15 05:16

コメント数: 0
お気に入り登録数:1



コメントを残す