帝国主義時代のフランスとドイツについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/16 19:42      
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帝国主義時代のフランスとドイツについて考えてみます

 

 

・フランスについて

 

 

 

 ・パリ=コミューンの後、フランスでは1875年に第三共和国憲法が成立した

  

 ・また、1880年代から植民地拡大政策が実行された

  →その結果、インドシナとアフリカに大規模な植民地を作り上げた

 

 ・フランスは、工業力ではドイツやアメリカに及ばなかった

  →しかし、豊かな中産階級に支えられた銀行の資本力を用いて、

   帝国主義政策を追求していった

 

 ・フランスは、ビスマルク体制のもとでは国際的に孤立していた

  →しかし、1890年代以降は、露仏同盟や英仏同盟などを結んで、ドイツに対抗した

 

 

 

 

 ・フランス国内では、1880年代以降、以下のような共和政を攻撃する動きが見られた

  →・1887~1889年のブーランジェ事件

   ・1894~1899年のドレフュス事件  など

 

  ※ブーランジェ事件

   ・元陸相のブーランジェという人が、右翼や保守の勢力に支持されて、

    1889年に政権の奪取を狙った事件のこと

 

  ※ドレフュス事件

   ・ユダヤ系の軍人だったドレフュスという人が、ドイツのスパイ容疑で

    終身刑を宣告されたが、後に誤審と判明した事件のこと

   ・しかし、反ユダヤ主義的傾向を持つ軍部が誤審を無視した

    →そのため、作家のゾラなどが世論に再審を訴えた

   ・1906年にドレフュスが最終的に無罪になって、軍部は信用を失った

 

  →上のような共和政の攻撃に対して、政府が危機を乗り越えた

 

 

 

 ・一方で、労働運動ではサンディカリズムという考え方が出てきた

  ※サンディカリズム・・政党の指導ではなく、労働組合のゼネストによって

             一気に社会革命の実現を目指す考え方

   →その後、1905年にフランス社会党が成立して、サンディカリズムの動きをおさえた

 

 ・さらに、1905年に政教分離法という法律が出来た

 

 

  =以上のような流れの結果、共和国が安定していった

 

 

 

 

 

 

 

・ドイツについて

 

 

 ・1888年に、ドイツでヴィルヘルム2世という人が即位した

  

  →ヴィルヘルム2世は、以下のようなことを行った

   

   ・若い皇帝であり、自ら政治を指導していこうと考えた

 

   ・ロシアとの再保障条約を更新した

 

   ・社会主義者鎮圧法の延長に反対した

 

   ・1890年にビスマルクを辞めさせた

 

   ・「世界政策」という名前のもとに、強引な帝国主義政策を行った

    ※市民の間に、パン=ゲルマン主義運動が広がって、世界政策を支援した

     ・パン=ゲルマン主義運動・・国外のドイツ人を統合して大帝国の建設を

                   目指す動きのこと

 

   ・海軍の大幅な拡張を目指して、イギリスをおびやかした

 

 

 

 

 ・ドイツ国内では、以下のようなことが起きた

 

  →・1890年に社会主義者鎮圧法が廃止された

    ※この時に、社会民主党が急激に勢力を伸ばした

     →そのため、社会民主党が議会の第一党になった

 

   ・社会民主党が、マルクス主義にもとづいて、資本主義を革命によって

    倒して社会主義を実現すると主張した

    →その後、19世紀の終わりになると、社会民主党の党内に、

     ベルンシュタインなどの修正主義が出てきた

     ※修正主義・・議会主義的な改革を重視する主義のこと

 

 

ポイント

・帝国主義時代のフランスについておさえる

・帝国主義時代のドイツについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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