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	<title>アラエス &#187; エジプト＝トルコ戦争</title>
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	<item>
		<title>東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/975</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/975#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 06:44:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史後期・末期]]></category>
		<category><![CDATA[アレクサンドロス2世]]></category>
		<category><![CDATA[インテリゲンツィア]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[クリミア戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ナロードニキ]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア]]></category>
		<category><![CDATA[ロシアの革命]]></category>
		<category><![CDATA[東方問題]]></category>
		<category><![CDATA[農奴解放令]]></category>

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		<description><![CDATA[東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について考えてみます &#160; &#160; ・東方問題について &#160; &#160; 　・１８４８年革命を経験したヨーロッパは、１９世紀の後半に入って、 　　以下のようなこ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/975">東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東方問題について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８４８年革命を経験したヨーロッパは、１９世紀の後半に入って、</p>
<p>　　以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・好況期を迎えた</p>
<p>　　　・自由主義が西欧諸国を中心に発展した</p>
<p>　　　・イタリアとドイツの統一というナショナリズムの問題を軍事力によって解決した</p>
<p>　　　　→この軍事力による解決のスタートは、</p>
<p>　　　　　１８５０年代に起きたクリミア戦争という戦争だった</p>
<p>　　　　　＝この戦争の結果、ナポレオン戦争終結から約４０年続いた、</p>
<p>　　　　　　平和な状況が変わってきてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９世紀の前半以降、オスマン帝国の支配下にある諸民族は、自由主義とナショナリズムの</p>
<p>　　風潮の中で、オスマン帝国の衰退に乗っかって、独立運動を進めてきた</p>
<p>　　※しかし、ギリシアのように、様々な民族の独立運動は、</p>
<p>　　　中東で利害関係を持つ有力な国が関わることにもなった</p>
<p>　　　＝このような流れで生まれた国際問題を、西欧の側から見て「東方問題」という</p>
<p>　　　　※特にロシアは、不凍港の獲得と勢力の拡大を目指して、何度も南下を計画した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８３１年、オスマン帝国の支配下で自治を認められていたエジプトが、</p>
<p>　　領土を求めてオスマン帝国とたたかった</p>
<p>　　＝この出来事を、エジプト＝トルコ戦争という</p>
<p>　　　※この時、ロシアはオスマン帝国を支持して南下を実現させようとした</p>
<p>　　　　→しかし、イギリスなどがこの戦争に絡んできてしまったため、成功しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・クリミア戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８５３年に、ロシアがオスマン帝国領内のギリシア正教徒の保護を理由に、</p>
<p>　　オスマン帝国に侵入するということが起きた</p>
<p>　　＝この出来事によって起きた戦争を、クリミア戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※クリミア戦争では、次の年にイギリスとフランスがロシアとの戦いに</p>
<p>　　　加わるということが起きた</p>
<p>　　　→そのため、クリミア戦争は、ヨーロッパの有力な国どうしでの戦争になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→クリミア戦争では、ロシアが負けた</p>
<p>　　　＝そのため、１８５６年にパリ条約という条約が結ばれ、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・ダーダネルス、ボスフォラスの両方の海峡の外国軍艦の通航が禁止された</p>
<p>　　　　・黒海の中立化が約束された</p>
<p>　　　　　→結果的に、ロシアの南下政策も失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　＝上のような流れによって、ロシアとイギリスが支えてきたヨーロッパの国際秩序が</p>
<p>　　大きく揺れ動くことになった</p>
<p>　　→そして、１８７０年代の初めまで戦争が頻繁に起こり、それぞれの国に大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロシアの革命について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアでは、専制政治と農奴制が強かった</p>
<p>　　→しかし、クリミア戦争の敗北によって、ロシア国内で改革が必要となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアのアレクサンドロス２世という人は、１８６１年に農奴解放令という令を出した</p>
<p>　　→この令によって、農奴に人格的な自由を認めた</p>
<p>　　　※しかし、土地は貴族の領主から買い戻さなければならなかった</p>
<p>　　　※さらに、農民個人ではなく、農村共同体（ミール）に引き渡されることが多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアは、１８６３年のポーランドの反乱以後、皇帝が再び専制政治を</p>
<p>　　強化していくということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時のロシアは、産業の発展が不十分だった</p>
<p>　　→そのため、改革の担い手の中心は、都市の知識人階級（インテリゲンツィア）だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※インテリゲンツィアについて</p>
<p>　　　・インテリゲンツィアの一部は、農民を啓蒙して社会主義的改革を行うことが</p>
<p>　　　　必要であると考えた</p>
<p>　　　　→そこで、「ヴ＝ナロード（人民のなかへ）」という標語をかかげて</p>
<p>　　　　　農村に入り込んでいった</p>
<p>　　　　　＝そのため、インテリゲンツィアは、ナロードニキ（人民主義者）と呼ばれていた</p>
<p>　　　・しかし、インテリゲンツィアの運動は行き詰まった</p>
<p>　　　　→そのため、絶望した人々の間には、テロリズム（暴力主義）で</p>
<p>　　　　　政府を倒そうとする考え方が広がった</p>
<p>　　　　　※この時に、皇帝のアレクサンドロス２世や高官が暗殺された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東方問題の概要と流れについておさえる</p>
<p>・クリミア戦争の内容と各国の動きについておさえる</p>
<p>・クリミア戦争後のロシアの革命の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/975">東方問題・クリミア戦争・ロシアの革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>近代のアラブ民族の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/900</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/900#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 07:31:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[大きな魚]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代アジア史後期]]></category>
		<category><![CDATA[アラブ民族]]></category>
		<category><![CDATA[ウラービー]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト総督]]></category>
		<category><![CDATA[エジプト＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[オスマン帝国]]></category>
		<category><![CDATA[シリア]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
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		<category><![CDATA[ムハンマド＝アリー]]></category>
		<category><![CDATA[ワッハーブ派]]></category>

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		<description><![CDATA[近代のアラブ民族の動きについて &#160; &#160; ・アラブ民族の動きについて &#160; 　 　・１８世紀の半ばころに、イブン＝アブドゥル＝ワッハーブという人が、 　　アラビア半島でイスラーム教の改革を唱える [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/900">近代のアラブ民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代のアラブ民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アラブ民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１８世紀の半ばころに、イブン＝アブドゥル＝ワッハーブという人が、</p>
<p>　　アラビア半島でイスラーム教の改革を唱えるという、ワッハーブ派の運動を起こした</p>
<p>　　</p>
<p>　　→ワッハーブ派は、以下のような運動を起こした</p>
<p>　　　・ワッハーブ派は、中央アラビアの豪族であるサウード派と結んで</p>
<p>　　　　ワッハーブ王国を建設した</p>
<p>　　　　※ワッハーブ派は、のちにリヤドに首都を定めた</p>
<p>　　　・ワッハーブ派は、イラン人やトルコ人がもたらした神秘主義と聖者崇拝によって、</p>
<p>　　　　イスラーム教は堕落したとみなした</p>
<p>　　　　＝そのため、預言者ムハンマドの最初の教えに帰れと説いた</p>
<p>　　　　　※この考え方は、現代まで続くイスラーム改革運動の始まりであり、</p>
<p>　　　　　　トルコ支配に反抗するアラブ民衆の間に受け入れられた</p>
<p>　　　　　　→結果的に、アラブ民族のめざめをうながすきっかけとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・シリアでは、１９世紀の初めにアラブのキリスト教徒知識人の間に、</p>
<p>　　アラブ文化の復興運動というのが起こった</p>
<p>　　→この活動は、言語を通じてアラブの民族意識を高めることになった</p>
<p>　　　＝結果的に、１９世紀の終わり以降に展開するアラブ民族主義運動への道を</p>
<p>　　　　開いたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９８年に、フランスがナポレオンの遠征によってエジプトを占領するということが起きた</p>
<p>　　→しかし、その後にフランスがイギリスとオスマン帝国の連合軍に負けるということが起きた</p>
<p>　　　＝そのため、オスマン帝国の主権がここで回復した</p>
<p>　　　　※しかし、１８０５年にこの混乱に乗っかってムハンマド＝アリーという人が</p>
<p>　　　　　エジプトの支配者になった</p>
<p>　　　　　＝そして、１８０６年にムハンマド＝アリーはエジプト総督としての地位を</p>
<p>　　　　　　オスマン帝国から獲得した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　※ムハンマド＝マリーが行なったことについて</p>
<p>　　・旧勢力のマムルークを一掃した</p>
<p>　　・フランスの援助によって近代的な陸海軍を創設した</p>
<p>　　・造船所、官営工場、印刷所を建設と、教育制度の改革を行った</p>
<p>　　　＝上の３つのようなことを行って、エジプトの近代化を強力に推し進めていった</p>
<p>　　・オスマン帝国の求めに応じてアラビア半島に出兵し、</p>
<p>　　　１８１８年に一時ワッハーブ王国を倒した</p>
<p>　　・シリアの領有を求めたが、それが拒否された</p>
<p>　　　→すると、２度にわたってオスマン帝国とたたかい勝利をおさめた</p>
<p>　　　　＝この戦いをエジプト＝トルコ戦争という</p>
<p>　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※エジプト＝トルコ戦争について</p>
<p>　　・この戦いで、フランスがエジプトを、ロシアがオスマン帝国を援助した</p>
<p>　　　→そのため、この戦いにイギリスが関わるようになってきた</p>
<p>　　　　＝結果的に１８４０年のロンドン会議で、ムハンマド＝アリーは、</p>
<p>　　　　　オスマン帝国スルタンの宗主権のもとにエジプト・スーダンの総督の地位を</p>
<p>　　　　　世襲することを認められるにとどまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトが、近代化を急ぎ、戦争によって莫大な債務を抱えるということが起きた</p>
<p>　　→そこで、１８６０年代からイギリスとフランスの財務管理下に置かれ、</p>
<p>　　　内政の支配も受けるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エジプトが外国に支配されることに対して、ウラービー（オラービー）という人が</p>
<p>　　１８８１～８２年に反乱した</p>
<p>　　→すると、イギリスは単独でエジプトを軍事占領して、事実上これを保護下においた</p>
<p>　　　※しかし、立憲制の確立を求めて、ウラービー運動は</p>
<p>　　　　「エジプト人のためのエジプト」をスローガンにした</p>
<p>　　　　＝結果的にウラービー運動は、その後のエジプト民族主義運動の原点になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・近代のアラブ民族の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/900">近代のアラブ民族の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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