近代のアラブ民族の動きについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/14 16:31      
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近代のアラブ民族の動きについて

 

 

・アラブ民族の動きについて

 

 

 ・18世紀の半ばころに、イブン=アブドゥル=ワッハーブという人が、

  アラビア半島でイスラーム教の改革を唱えるという、ワッハーブ派の運動を起こした

  

  →ワッハーブ派は、以下のような運動を起こした

   ・ワッハーブ派は、中央アラビアの豪族であるサウード派と結んで

    ワッハーブ王国を建設した

    ※ワッハーブ派は、のちにリヤドに首都を定めた

   ・ワッハーブ派は、イラン人やトルコ人がもたらした神秘主義と聖者崇拝によって、

    イスラーム教は堕落したとみなした

    =そのため、預言者ムハンマドの最初の教えに帰れと説いた

     ※この考え方は、現代まで続くイスラーム改革運動の始まりであり、

      トルコ支配に反抗するアラブ民衆の間に受け入れられた

      →結果的に、アラブ民族のめざめをうながすきっかけとなった

 

    

 

 ・シリアでは、19世紀の初めにアラブのキリスト教徒知識人の間に、

  アラブ文化の復興運動というのが起こった

  →この活動は、言語を通じてアラブの民族意識を高めることになった

   =結果的に、19世紀の終わり以降に展開するアラブ民族主義運動への道を

    開いたと言われている

 

 

 

 ・1798年に、フランスがナポレオンの遠征によってエジプトを占領するということが起きた

  →しかし、その後にフランスがイギリスとオスマン帝国の連合軍に負けるということが起きた

   =そのため、オスマン帝国の主権がここで回復した

    ※しかし、1805年にこの混乱に乗っかってムハンマド=アリーという人が

     エジプトの支配者になった

     =そして、1806年にムハンマド=アリーはエジプト総督としての地位を

      オスマン帝国から獲得した

 

 

 

 ※ムハンマド=マリーが行なったことについて

  ・旧勢力のマムルークを一掃した

  ・フランスの援助によって近代的な陸海軍を創設した

  ・造船所、官営工場、印刷所を建設と、教育制度の改革を行った

   =上の3つのようなことを行って、エジプトの近代化を強力に推し進めていった

  ・オスマン帝国の求めに応じてアラビア半島に出兵し、

   1818年に一時ワッハーブ王国を倒した

  ・シリアの領有を求めたが、それが拒否された

   →すると、2度にわたってオスマン帝国とたたかい勝利をおさめた

    =この戦いをエジプト=トルコ戦争という

     

 

 ※エジプト=トルコ戦争について

  ・この戦いで、フランスがエジプトを、ロシアがオスマン帝国を援助した

   →そのため、この戦いにイギリスが関わるようになってきた

    =結果的に1840年のロンドン会議で、ムハンマド=アリーは、

     オスマン帝国スルタンの宗主権のもとにエジプト・スーダンの総督の地位を

     世襲することを認められるにとどまった

 

 

 

 

 ・エジプトが、近代化を急ぎ、戦争によって莫大な債務を抱えるということが起きた

  →そこで、1860年代からイギリスとフランスの財務管理下に置かれ、

   内政の支配も受けるようになった

 

 ・エジプトが外国に支配されることに対して、ウラービー(オラービー)という人が

  1881~82年に反乱した

  →すると、イギリスは単独でエジプトを軍事占領して、事実上これを保護下においた

   ※しかし、立憲制の確立を求めて、ウラービー運動は

    「エジプト人のためのエジプト」をスローガンにした

    =結果的にウラービー運動は、その後のエジプト民族主義運動の原点になった

 

 

ポイント

・近代のアラブ民族の動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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