<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; ドヴァーラヴァティ王国</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%83%89%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%86%e3%82%a3%e7%8e%8b%e5%9b%bd/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e3%83%89%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%86%e3%82%a3%e7%8e%8b%e5%9b%bd/feed" />
	<item>
		<title>インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/772</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/772#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 19:45:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[アジア・アメリカ古代史]]></category>
		<category><![CDATA[アンコールワット]]></category>
		<category><![CDATA[カンボジア]]></category>
		<category><![CDATA[クメール人]]></category>
		<category><![CDATA[シャイレンドラ朝]]></category>
		<category><![CDATA[シュリーヴィジャヤ王国]]></category>
		<category><![CDATA[ドンソン文化]]></category>
		<category><![CDATA[ドヴァーラヴァティ王国]]></category>
		<category><![CDATA[ボロブドゥール]]></category>
		<category><![CDATA[マタラム朝]]></category>
		<category><![CDATA[東南アジア]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=772</guid>
		<description><![CDATA[インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて考えてみます &#160; &#160; ・インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて &#160; &#160; 　・東南アジアでは、紀元前２千年紀末に、ベトナ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/772">インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東南アジアでは、紀元前２千年紀末に、ベトナムやタイの東北部を中心に、青銅器が作られた</p>
<p>　　→紀元前４世紀になると、中国の影響によって、ベトナムの北部を中心に</p>
<p>　　　独特の青銅器や鉄製農具が作られた</p>
<p>　　　＝この時に出来た文化を、ドンソン文化という</p>
<p>　　　　※青銅器の銅鼓は、中国の南部から東南アジアの広い地域で発見されている</p>
<p>　　　　　→これは、当時の交易の広さを物語っていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・紀元前後から、インドや中国と、東南アジアとの交流が盛んになった</p>
<p>　　→そのため、インドと中国から東南アジアに物産が入ってきて、人々が行き来した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような状況で、１世紀の終わりにメコン川の下流に</p>
<p>　　　扶南という東南アジア最古の王朝が作られた</p>
<p>　　　※扶南は、インドから来たバラモンと、扶南になる前の土地の女性が結婚して</p>
<p>　　　　扶南を作ったという逸話がある</p>
<p>　　</p>
<p>　　→扶南の港市のオケオというところでは、ローマ貨幣やインドの神像が出土した</p>
<p>　　　※これは、当時の交易が、インド洋から地中海世界とつながっていたことを示している</p>
<p>　</p>
<p>　　→そして、２世紀末に、チャム人という人達が、ベトナムの中部にチャンパーという国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・４世紀末から５世紀に入ると、インド船が盛んに活動するようになった</p>
<p>　　→そのため、東南アジアの多くの地域で「インド化」と呼ばれる様々な変化が起きた</p>
<p>　　　＝その結果、各地の政権の中に、インドの影響が強く見られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※インド化と呼ばれる変化として、以下のような特徴が挙げられる</p>
<p>　　　　・ヒンドゥー教や大乗仏教が受け入れられるようになった</p>
<p>　　　　・「王権」の概念が考えられた</p>
<p>　　　　・インド神話とサンスクリット語が入ってきた</p>
<p>　　　　・インド式建築様式が見られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大陸部では、６世紀の終わりにクメール人という人達によって、</p>
<p>　　メコン川の中流域にカンボジアという王国が出来た</p>
<p>　　＝カンボジアは、扶南を倒した</p>
<p>　　　※カンボジアの特徴</p>
<p>　　　　・アンコールというところに都を置いた　</p>
<p>　　　　・ヒンドゥー教の影響を受けている</p>
<p>　　　　・ヒンドゥー教や仏教の影響を受けたアンコール＝ワットなど、壮大な寺院が多い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イラワディ川下流域では、９世紀までミャンマー（ビルマ）系の</p>
<p>　　ピュー人という人達の国があった</p>
<p>　　→しかし、１１世紀になると、パガン朝という王朝が出来た</p>
<p>　　　※パガン朝では、スリランカとの交流によって、上座部仏教が広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・今日のタイのチャオプラヤ川下流では、７世紀から１１世紀ころにかけて、</p>
<p>　　モン人という人達によって、ドヴァーラヴァティ王国というのが発展した</p>
<p>　　※その時に、上座部仏教が盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベトナムでは、今までは紅河デルタを中心にした北部地域は、中国の支配に従うことが多かった</p>
<p>　　→しかし、１１世紀の初めに、大越国の李朝というのが成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ベトナムの中部から南部にかけては、インドの影響を強く受けた寺院群を残している</p>
<p>　　　チャンパーの勢力がいた</p>
<p>　　　※チャンパーの勢力は北部の勢力とも何度か対立していた</p>
<p>　　　※この時に、李朝や、それに続く陳朝も同じように対立を続けていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→インドの中部から南部に元が侵攻してきたが、陳朝を中心にして、これを撃退した</p>
<p>　　　※陳朝では、ベトナム語を書くために、漢字を使った字喃（チュノム）という文字が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・諸島部では、インド化が進んで、いくつかの王国が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※７世紀のなかばには、スマトラ島のパレンバンを中心に、</p>
<p>　　　シュリーヴィジャヤ王国というのが出来た</p>
<p>　　　→シュリーヴィジャヤ王国には、唐の義浄がインドへの往復の途中に滞在し、</p>
<p>　　　　仏教の盛んな様子を記している</p>
<p>　　　→さらに、シュリーヴィジャヤ王国は、海上交易に積極的に関わり、唐にも使節を派遣した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※中部のジャワでは、仏教の国のシャイレンドラ朝や、</p>
<p>　　　ヒンドゥー教の国のマタラム朝などが生まれた</p>
<p>　　　→シャイレンドラ朝のもとで、ボロブドゥールという壮大な仏教寺院が建築された</p>
<p>　　　→しかし、シャイレンドラ朝は、しだいにヒンドゥー教の勢力が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・インド・中国文明との関係についておさえる</p>
<p>・東南アジアの流れについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/772">インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/772/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/772" />
	</item>
	</channel>
</rss>
