インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/10 04:45      
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インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて考えてみます

 

 

・インド・中国文明との関係と東南アジアの流れについて

 

 

 ・東南アジアでは、紀元前2千年紀末に、ベトナムやタイの東北部を中心に、青銅器が作られた

  →紀元前4世紀になると、中国の影響によって、ベトナムの北部を中心に

   独特の青銅器や鉄製農具が作られた

   =この時に出来た文化を、ドンソン文化という

    ※青銅器の銅鼓は、中国の南部から東南アジアの広い地域で発見されている

     →これは、当時の交易の広さを物語っていると言われている

 

 

 

 ・紀元前後から、インドや中国と、東南アジアとの交流が盛んになった

  →そのため、インドと中国から東南アジアに物産が入ってきて、人々が行き来した

 

  →上のような状況で、1世紀の終わりにメコン川の下流に

   扶南という東南アジア最古の王朝が作られた

   ※扶南は、インドから来たバラモンと、扶南になる前の土地の女性が結婚して

    扶南を作ったという逸話がある

  

  →扶南の港市のオケオというところでは、ローマ貨幣やインドの神像が出土した

   ※これは、当時の交易が、インド洋から地中海世界とつながっていたことを示している

 

  →そして、2世紀末に、チャム人という人達が、ベトナムの中部にチャンパーという国を作った

 

 

 

 ・4世紀末から5世紀に入ると、インド船が盛んに活動するようになった

  →そのため、東南アジアの多くの地域で「インド化」と呼ばれる様々な変化が起きた

   =その結果、各地の政権の中に、インドの影響が強く見られるようになった

 

   ※インド化と呼ばれる変化として、以下のような特徴が挙げられる

    ・ヒンドゥー教や大乗仏教が受け入れられるようになった

    ・「王権」の概念が考えられた

    ・インド神話とサンスクリット語が入ってきた

    ・インド式建築様式が見られた

 

 

 

 ・大陸部では、6世紀の終わりにクメール人という人達によって、

  メコン川の中流域にカンボジアという王国が出来た

  =カンボジアは、扶南を倒した

   ※カンボジアの特徴

    ・アンコールというところに都を置いた 

    ・ヒンドゥー教の影響を受けている

    ・ヒンドゥー教や仏教の影響を受けたアンコール=ワットなど、壮大な寺院が多い

 

 

 

 ・イラワディ川下流域では、9世紀までミャンマー(ビルマ)系の

  ピュー人という人達の国があった

  →しかし、11世紀になると、パガン朝という王朝が出来た

   ※パガン朝では、スリランカとの交流によって、上座部仏教が広まっていった

 

 ・今日のタイのチャオプラヤ川下流では、7世紀から11世紀ころにかけて、

  モン人という人達によって、ドヴァーラヴァティ王国というのが発展した

  ※その時に、上座部仏教が盛んになった

 

 

 

 ・ベトナムでは、今までは紅河デルタを中心にした北部地域は、中国の支配に従うことが多かった

  →しかし、11世紀の初めに、大越国の李朝というのが成立した

 

  →ベトナムの中部から南部にかけては、インドの影響を強く受けた寺院群を残している

   チャンパーの勢力がいた

   ※チャンパーの勢力は北部の勢力とも何度か対立していた

   ※この時に、李朝や、それに続く陳朝も同じように対立を続けていた

 

  →インドの中部から南部に元が侵攻してきたが、陳朝を中心にして、これを撃退した

   ※陳朝では、ベトナム語を書くために、漢字を使った字喃(チュノム)という文字が作られた

 

 

 

 ・諸島部では、インド化が進んで、いくつかの王国が誕生した

 

  ※7世紀のなかばには、スマトラ島のパレンバンを中心に、

   シュリーヴィジャヤ王国というのが出来た

   →シュリーヴィジャヤ王国には、唐の義浄がインドへの往復の途中に滞在し、

    仏教の盛んな様子を記している

   →さらに、シュリーヴィジャヤ王国は、海上交易に積極的に関わり、唐にも使節を派遣した

 

  ※中部のジャワでは、仏教の国のシャイレンドラ朝や、

   ヒンドゥー教の国のマタラム朝などが生まれた

   →シャイレンドラ朝のもとで、ボロブドゥールという壮大な仏教寺院が建築された

   →しかし、シャイレンドラ朝は、しだいにヒンドゥー教の勢力が強くなっていった

 

 

ポイント

・インド・中国文明との関係についておさえる

・東南アジアの流れについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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