クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について
クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について考えてみます
・クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝について
・マウリヤ朝が衰退した時に、紀元前2世紀にバクトリアから
ギリシア人の勢力が西北インドに出て来た
→ギリシア人勢力は西北インドにヘレニズム文化をもたらした
・その後、イラン系遊牧民が西北インドに進出してきた
・1世紀になると、バクトリア地方からクシャーナ族がインダス川流域に入ってきた
=そして、クシャーナ族がクシャーナ朝という王朝を作った
→クシャーナ朝の最盛期は、2世紀なかばのカニシカ王という王の時だった
※カニシカ王は、中央アジアからガンジス川中流域にいたる地域を支配した
・クシャーナ朝の特徴として、以下のようなことがあげられる
→・クシャーナ朝は、中国とローマを結ぶ交通路の重要な位置だった
→そのため、クシャーナ朝では国際的な経済活動が活発に行われていた
・ローマの貨幣を参考にして大量の金貨が発行された
※これは、当時ローマとの交易が盛んであり、大量の金が
インドにもたらされたことによる影響だと言われている
※この時の貨幣には、イランやギリシア、インドなどの文字や神々が描かれていた
=これは、東西の交流が発展していたことを示している
・大乗仏教を保護した
※当時の宗教について
・紀元前後に、仏教の中から新しい運動が生まれてきた
・今までの仏教は、出家者が厳しい修行を行って自分自身が
救われることを求めるものだった
・新しい仏教では、様々な人々を救うことを目指した
→そのため、新しい仏教のような運動を、様々な人々の大きな乗り物
という意味を込めて、大乗と呼んだ
※大乗仏教に対し、今までの仏教を小乗仏教と呼ぶことがある
※小乗仏教は、多くの部派に分かれたが、その中の上座部というのが、
大きな勢力を持つようになった
・大乗仏教は、小乗仏教を自分だけの悟りを目的とした自己中心的なものだと批判した
→そのため、大乗仏教は自分の悟りよりも、人々を救うことのほうが大切だと考えていた
=結果的に、出家しないまま修行を行う意義を説いた菩薩信仰が広がっていった
・今まではブッダはおそれ多いものとされて、具体的な像が作られることがなかった
→しかし、ヘレニズム文化の影響を受けて、仏像が生み出されることで
信仰されるようになっていった
・大乗仏教は、クシャーナ朝の保護を受けていることもあり、
ガンダーラという王国を中心とした仏教美術と一緒に、
中央アジア、中国、日本などに影響を与えた
・クシャーナ朝とおなじように勢力を持っていたのは、西北インドから南インドにかけて
勢力を持っていたサータヴァーハナ朝という王朝だった
→サータヴァーハナ朝では、仏教やジャイナ教の活動がさかんだった
→サータヴァーハナ朝のもとで、北インドから南インドへ多くのバラモンが招かれた
=その結果、北インドと南インドの文化の交流が進むことになった
ポイント
・クシャーナ朝についておさえる
・大乗仏教を中心とした当時の宗教の様子についておさえる
・サータヴァーハナ朝についておさえる
このあたりが今回のポイントです