秦と漢帝国と世界との関係について
秦と漢帝国と世界との関係について考えてみます
・秦と漢帝国と世界との関係について
・春秋・戦国の動乱の時代を超え、秦と漢の時期に中国では皇帝を頂点とした
巨大な規模の国家が作られた
※秦と漢の時期の皇帝統治は、官僚制と儒学に支えられていた
→このような統治は、その後20世紀初めの清朝の滅亡に至るまでの二千年あまりの間、
中国の国家体制の基本になった
・中国の存在は、当時のインドなどを通して西方にも知られるようになった
※現在の欧米で中国をチャイナ(英語)、シィン(フランス語)などと呼んでいるのは、
語源をたどると、王朝の名前である「秦」から来ている
※また、今日漢字を使う文化圏で、「漢族」「漢字」などというように、
「漢」という王朝の名前は、現在でも中国の文化を代表する語として用いられている
・当時は、中国側でも世界に対する知識が広がっていった
→特に、西域に派遣された前漢の張騫や後漢の班超によって、
西方の事情が中国に伝わってきた
※この時に、ローマ帝国(大秦)という国の存在も知られるようになった
・2世紀の中ごろには、ローマ皇帝(中国の史料では「大秦王安敦」)が中国に派遣した使節が
海路で日南郡(現在のベトナム中部)に至ったと言われている
※大秦王安敦は、マルクス=アウレリウス=アントニヌスのことだと言われている
・東アジア内部の周辺の地域との交流も盛んになっていった
→その首長に、国王などの称号を与えて、皇帝中心の秩序のなかに
位置づけられることが行なわれるようになった
※倭人(日本人)の使者が光武帝から「漢委奴国王」の金印を受けていることは、
その一つの例だと言われている
ポイント
・秦と漢帝国と世界との関係についておさえる
このあたりが今回のポイントです