春秋・戦国時代について
春秋・戦国時代について考えてみます
・春秋・戦国時代について
・周の西北方面では、周辺の民族の活動が活発になった
→そのため、周は紀元前8世紀に首都の鎬京を攻略された
=そこで、周は都を東方の洛邑(現在の洛陽)に移動させた
・洛邑への移動後、周の勢力が衰えていった
→その後は、紀元前3世紀後半に秦が統一するまで分裂と抗争の時代が続いていった
=この時期の前半、紀元前5世紀末までを春秋時代、
それ以後の後半の時期を戦国時代という
※・春秋という名前は、孔子が編纂したと言われる「春秋」という歴史書から用いられた
・戦国という名前は、当時の遊説者という人達の策謀を書いた漢の時代の
「戦国策」というものから用いられた
・春秋時代について
・春秋時代の有力な諸侯は、周の王の権威のもとに、多くの諸侯を招き、
盟約の儀式を行うことで、列国の主導権を握っていった
=このような有力な諸侯を、覇者という
※春秋時代の代表的な諸侯に、斉の桓公、晋の文公などがいる
→しかし、当時は様々な国との間の抗争が激しくなっていくということが起きた
→すると、周の王を無視して、自ら王を称する諸侯が増えてきた
=その結果、周全体にあった統一的な秩序が崩れてしまった
※崩れたことによって、戦国時代が始まった
・戦国時代について
・戦国時代に入ると、王に権力を集中して富国強兵政策を進める国々が出てきた
→そのような国々は、周りの国々をつぎつぎと併合していった
=その結果、戦国の七雄と呼ばれる七つの強い国が並び、お互いに同盟を結びつつ、
入り乱れて争った
※戦国の七雄は、斉、楚、秦、燕、韓、魏、趙の7つを指す
・七雄の中でも、西方にあった秦は、先進諸国から能力の高い人材を集めて、
積極的な制度改革を行うことで、
急速に勢力を伸ばしていった
※春秋・戦国時代とはどのような時代だととらえられるのか
・春秋・戦国時代は、大きくとらえると、分裂の時代だった
→そのような分裂を行う激しい競争の中で、それぞれの地域に
中央集権的な政治体制が誕生した
※この時に、農業技術や貨幣経済などが発展してきて、新しい思想なども出てきた
=この時代は、後の統一帝国の基礎が作られた重要な時代だった
・各国が領土拡大の競争を行っていたため、中国文化圏は拡大していった
→この時に、諸国間の交流によって、「中国」としての一体感も生まれてきたと言われている
ポイント
・春秋時代についておさえる
・戦国時代についておさえる
・春秋・戦国時代の概要についておさえる
このあたりが今回のポイントです