東アジアの風土と人々・中国文明の誕生について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/10 08:43      
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東アジアの風土と人々・中国文明の誕生について考えてみます

 

 

・東アジアの風土と人々について

 

 

 ※東アジアとは・・現在の中国の領域を中心に、モンゴル高原、ベトナム北部、

          チベット高原、朝鮮半島、日本列島などに広がっている

          ユーラシア大陸東部地域のことを指す

 

 

 

 ・東アジアには、以下のような特徴がある

 

  →・温暖で湿潤なモンスーン地帯が多い

   ・中国東部、朝鮮、日本、ベトナムでは、昔から農耕が発達してた

    =そのため、東アジアの人口の多くはこの地域に集中していた

 

  →・北方の草原や砂漠地帯では、遊牧が主な仕事になった

   ・東北部の森林地帯では、狩猟や採集を営む人々が生活していた

    =このような北方の住民は、人口が少なかったものの、農耕地帯への進入や貿易を通して

     東アジアの歴史に大きな役割を果たしたと言われている

 

  =上のような、様々な自然条件の中での生活とお互いに関わることを通して、

   言語や文化を共有する集団のつながりが生まれてきた

 

 

 ※今日の中国では、人口の多くを占める漢族という民族のほかに、

  約50の少数民族があると言われている

  →その他の国々にも、大小さまざまな民族によって構成されている

   

   ※当時中国の少数民族について

    ・モンゴル族、ウイグル族、チベット族などのように、

     独立の国家を作っていた民族もあった

    ・西南のヤオ族、ミャオ族などのように、中国王朝のもとで

     統治されていた民族もあった

 

 

 

 

 ・東アジアは、風土、生業、言語などの多様性を持ちながら、千年以上の間、

  漢字や儒教、仏教など共通の文化によって結ばれた独自の世界として

  大きなまとまりを保ってきた

  →その中心となったのは、中国だった

   ※中国の歴史の始まりは、黄河・長江(揚子江)流域に発生した古代文明にまで

    さかのぼると言われている

 

 

 

 

 

 

・中国文明の誕生について

 

 

 ・紀元前6000年までに、黄河の流域と長江の流域では、以下のような農耕が行なわれていた

  →・黄河流域・・アワなどの雑穀  ・長江流域・・稲など

 

 

 

 ・紀元前5千年紀に、気候の温暖化と同時に、農耕技術が発展していった

  =その結果、数百人規模の村落が誕生した

   →その時に、黄河中流域と長江中流・下流域では以下のようなことが起きていた

    ※・黄河中流域・・彩文土器(彩陶)という土器を特色とする

             仰韶文化という文化が出て来た

     ・長江中流・下流域・・人工的な水田施設を伴う集落が作られていた

 

 

 

 ・紀元前3千年紀に、黄河・長江など地域間の交流が次第に活発になっていった

  ※それを示すものとして、黄河下流域を中心に、長江の中流・下流域から遼東半島にまで

   分布している黒色磨研土器(黒陶)があると言われている

   =この時の文化を、竜山文化という

  

  →交流が活発になったことで、集団がお互いに争うにようになっていった

   =その結果、それぞれの地域で政治的な統合が促された

 

 

 

 ・この時期の遺跡として、以下のようなものが見られた

  →・大量の武器

   ・戦争犠牲者の埋葬跡

   ・集団作業で土をつきかためた城壁

   ・支配層の大きな墓

    =これらは、政治権力が集中したこと、階層差が広がったことを意味している

 

 

ポイント

・東アジアの風土と人々についておさえる

・中国文明の誕生についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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