殷と周について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/10 08:48      
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殷と周について考えてみます

 

 

・殷と周について

 

 

 ・黄河中流と下流域では、城壁で囲まれた都市が発達していった

  →その後、それらの都市をまとめる広い王朝国家が成立してきた

   ※伝説では、夏という王朝が中国の最初の王朝とされているが、

    その都の場所は確認されていない

  

  →現在確認できる最古の王朝は、夏の次に誕生したとされる殷(商)というところだった

   ※20世紀初めに殷墟というのが発掘され、甲骨文字を刻んだ大量の亀甲などが

    発見されたことで、殷王朝が紀元前2千年紀に実在したことがはっきりと証明された

 

 

 

 

 ・殷について

 

  ・殷王朝は、多くの氏族集団(同じ祖先をもつという意識によって結びついた集団のこと)が

   連合し、王都のもとに多くの邑(城郭都市)が従う形で成り立った国家だった

   ※ただし、殷の王が直接統治する範囲が限られていた

    →そこで、王は以下のようなことを行い、多くの邑を支配していた

     ・盛大に神の祭りを行っていた

     ・神の考えを占って、農事や戦争など主な国事を全て決めていた

      →このようにして、宗教的な権威を利用していた

 

   ※・甲骨文字は、現在の漢字のもとであり、占いの結果の記録に使われていた

    ・複雑な文様を持つ青銅器の多くは、祭祀用の酒器や食器だった

 

 

   

 

 ・周について

 

  ・周は、殷の支配領域の西部にある、渭水流域で誕生した

 

  ・周は、最初は殷に従っていた

   →しかし、紀元前11世紀ころに殷を倒し、鎬京(現在の西安付近)に都をおいて、

    華北を支配した

    =このように王朝が交代することを、易姓革命という

     

 

  ・周の王は、一族、功臣、各地の土着の首長に、封土(領地)を与えて、諸侯とし、

   代々その地を領有させていた

   ※諸侯・・封土内の人々を支配していた人のこと

   ※王や諸侯に従う卿、大夫、士などと呼ばれる家臣にも、それぞれ地位と封土を与えられた

    →封土を分けることによる統治のしかたは「封建」と呼ばれた

 

    →封建のように、代々続く家柄を重視する統治の仕組みのもとでは、

     氏族のまとまりが重要だった

     =そのため、親族関係の秩序やそれに応じた祭祀の仕方を定めた

      宗法というものが作られた

 

    ※分権的な「封建」体制を一つにまとめていたのは、天命を受けた天子と呼ばれる

     周の王の権威だった

 

 

ポイント

・殷についておさえる

・周についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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