東アジアの勢力の変化について
東アジアの勢力の変化について考えてみます
・東アジアの勢力の変化について
・唐の終わりから五代の時代の特徴として、東アジアの様々な政権が
一斉に交替した時期だったと捉えられる
・9世紀の半ばにウイグルがキルギスに倒された後、トルコ系民族の西方への移動に伴って、
東アジアの北方世界の中心はモンゴル高原の東南部を中心としたモンゴル系の
契丹というところに移った
・10世紀の前半に、唐の滅亡を始めとして、大きく5つの出来事が起きた
→・渤海が契丹に降伏した
・朝鮮で、新羅に代わって、王建という人が開城というところを都にして、
高麗という国を作った
・雲南では、南詔から大理に政権が交替した
・千年以上にわたって中国の支配を受けてきたベトナムが10世紀の後半に
独立国家を作った
・11世紀の初めに、李氏が大越国を作って、支配を固めていった
=総合して考えると、唐の終了以降の時期は、以下のような特徴があると言える
→・唐を中心として形作られていた東アジア文化圏の統合が緩んだ
・それぞれの地域が独自の特色ある文化を形成していった
・高麗では、国家の保護によって、仏教が盛んになっていった
→そのため、仏教経典を集めて作られた「大蔵経」というのは、
日本の有力者にも熱心に求められた
※この時に、独自の雰囲気を持つ高麗青磁というのも作られた
・唐から宋にいたるまでの動乱の時代に、日本では平安朝が続いていた
→日本では、以下のようなことが起きていた
・9世紀末に遣唐使を廃止した
・仮名文字や大和絵に代表されるような、日本独特の国風文化が栄えた
・律令体制が崩れていった
・武士の勢力が強まっていった
・12世紀の終わりに鎌倉幕府が誕生する
※高麗でも12世紀の終わりころに、武臣(軍人)が政治の実権を握っていった
・周辺の国々がそれぞれ独自の文化を誕生させていくにつれて、
中国の文化的な影響力が弱くなっていった
→この動きは、中国文化の衰退ではなく、中国を新しく統一した宋の時代に
唐の文化とは違う、新しい中国独特の文化が生まれていく土台となった
・この時期は、中国を中心とした朝貢関係が弱くなっていった
→一方で、東アジアの地域間での民間の交易は活発になっていった
※この時に、銅銭や陶磁器などの貿易が行なわれていた
=その結果、広州、泉州、明州(寧波)などの港が繁栄した
※これらの港には、市舶司というのが置かれ、海上の貿易を管理していた
ポイント
・東アジアでのそれぞれの地域の変化と流れについておさえる
このあたりが今回のポイントです