宋の時代の社会の様子について
宋の時代の社会の様子について考えてみます
・宋の社会について
・宋は開封というところを都とした
※開封は黄河と大運河の接点にあり、開封を最初に都にしたのは、後梁の朱全忠という人だった
・開封は、古くからの城壁都市を土台に、市場や繁華街が広がっていた都市だった
※唐の長安は、王の権威を内外に示すため、整然とした計画に壮大な都城が作られていた
・開封は、水路を通じて中国の東西南北を商業網の中心に位置していたというメリットがある
・唐の時代の終わりころ、商業に対する規制が緩んだ
→そのため、以下のようなことが起きた
・都市のなかで商業活動が積極的に行われるようになった
・城壁の外や交通の重要な位置に、草子や鎮などと呼ばれる商業の中心地が誕生した
※さらに、全国から税を集めて大量に軍事支出に回すという、中央集権的な宋の財政状態は、
物資の流通を盛んにした
=結果的に、商品の流通がどんどん活発になっていった
→この時に、以下のような人達が出てきた
・行(商人)、作(手工業者)などの同業組合が生まれてきた
・米、塩、茶、絹などを扱う大商人が活躍した
・宋の時代は、貨幣経済も発達していった
→そのため、以下のようなことが起きた
・銅銭に加えて、金銀もそのまま使うことが出来るようになった
・手形として使われていた交子や会子が、紙幣として使われるようになった
※手形は、唐の時代からあり、唐の時は飛銭と言われていた
・貨幣経済の発展によって、お金持ちなった人達が出てきた
→お金持ちになった人たちは、土地を買い集めて地主になった
→地主は、収穫物の約半分を小作料として徴収し、佃戸に耕作させるというのが普通だった
※地主と佃戸の関係は、対等な関係、主人と奴隷の関係など、様々な関係があった
・宋が南に渡ってから、江南の開発が進んだ
→そのため、中国経済の中心は、長安を中心とした西北から、東南の江蘇、浙江、福建などの
地域へ移動していった
・長江の下流域では、囲田などが作られ、労働力を一か所に集めるような稲作が
行なわれるようになった
※囲田・・湿地帯の土地を堤防で囲んで、干拓して作られた田のこと
・陶磁器、絹、茶など、特産品の集中的な生産が様々な場所で行われるようになった
→そのため、各地をつなぐような運河などが著しく発達していった
ポイント
・宋の社会の様子と発展についておさえる
このあたりが今回のポイントです