中国の分裂の時代について
中国の分裂の時代について考えてみます
・分裂の時代について
・北方民族が力をのばしはじめたころ、中国では黄巾の乱によって、
各地に軍事集団が現れ、戦いを繰り返していた
・220年に曹操という人の子どもの曹丕という人が後漢の皇帝から位を譲ってもらう
ということが起きた
→そこで、曹丕は華北で魏という国を誕生させた
→すると、長江下流域で孫権という人が呉という国を、四川で劉備という人が
蜀という国を作った
※結果的に、魏、蜀、呉の3国が中国を3つに分ける形となった
=この時代を、三国時代という
・3国の中では魏が最も優勢だった
→そのため、魏は蜀を滅ぼした
※その後、魏の将軍だった司馬炎(武帝)という人が国を奪って、
晋(西晋)という国を作った
=その後、晋は呉を倒して、中国を統一した
・しかし、中国を統一してすぐに、帝位をめぐる一族の争いが起きた
=この争いを、八王の乱という
→八王の乱によって、晋の支配が揺らいでしまった
※この内乱のなかで、兵力として活躍した遊牧諸民族(「五胡」と呼ばれる)が
勢力をのばして、各地で争いを起こしてきた
※五胡・・一般的に、匈奴、羯、鮮卑、氐、羌の5つを指すと言われている
→匈奴は、山西で挙兵し、晋の首都だった洛陽を倒した
=しかし、その後、晋の一族の司馬睿という人が江南の建康(現在の南京)で即位し、
晋を復活させた
※この時の晋を、東晋という
→さらにその後、華北では主に遊牧諸民族によってたてられた多くの政権が
盛り上がったり滅んだりした
=この時のことを、五胡十六国という
→結果的に5世紀前半に、鮮卑の拓跋氏という人達が作った北魏の太武帝という人が
華北を統一した
・北魏の孝文帝という人は、均田制や三長制を使って、農耕社会を安定させようとした
※三長制・・5家を隣、5隣を里、5里を党として、それぞれに長を置く村落制度のこと
→さらに、平城から洛陽に都を移し、鮮卑の服装や言語を禁止にするなど、
積極的な漢化政策を行った
※しかし、これらの政策に反発する軍人の反乱が起きるようになった
=そのため、北魏は東西に分裂してしまった
→さらに、東魏は北斉に、西魏は北周に倒された
※おまけに、北斉は北周に併合された
=このように、北魏以後の5王朝を北朝という
・一方で、江南では東晋の政権のもとに、華北への反攻で戦果をあげた武将の劉裕という人が
権力を握った
→劉裕は東晋を倒して、宋という国を作った
・その後、江南では宋、斉、梁、陳の4つの王朝が短期間で誕生したり、滅んだりした
→これらの王朝をまとめて、南朝という
=南朝と北朝の対立は、約1世紀半続いた
※三国時代以後の3世紀半あまりの分裂時代を、魏晋南北朝という
※また、建康(建業)に都を置いた6つの王朝(呉、東晋、南朝の4朝)を合わせて
六朝ということもある
ポイント
・中国の分裂の時代の様子とその流れについておさえる
このあたりが今回のポイントです