アジアの社会経済の変化について -後漢を中心に-
アジアの社会経済の変化について、後漢を中心に考えてみます
・社会経済の変化について
・後漢の終わりから南北朝を通じて、豪族が各地で力を強めていった
・官吏の任用制度は、三国の魏から、郷挙里選に代わって九品中正が始められた
※九品中正・・地方におかれた中正官が人材を9等に分けて推薦する制度のこと
→しかし、結果的には有力な豪族の子弟のみが上品に推薦されて、
高級官職を独占することになった
→さらに、九品中正によって、名門の家柄の固定につながってしまった
=以上のように、南北朝は貴族の勢力が非常に強い時代だった
・戦乱の中で、多くの農民が土地を失うことになった
→土地を失った農民は、故郷を捨てて流浪するか、広い土地を持つ豪族の奴隷になった
=そこで様々な王朝は、農民の生活を安定させて、税収の確保をするために、
積極的な土地政策を出した
※土地政策として、以下のようなことが行なわれた
・魏・・屯田制(国家が耕作者の集団を使って、官有地を耕作させる制度)
・北魏・・均田制
→上のような政策は、国家が土地の所有に介入して農民に土地を与えようとする政策だった
※しかし、効果は一部にとどまってしまった
・華北からの人口の流入によって、長江の中流と下流域では、人口が急増し、開発が進んだ
→大きな荘園を持つ貴族は、多くの奴隷を使い、穀物、野菜、畜産物、水産物、
手工業製品などを自給するという総合的な経営を行っていた
※なかには、戦乱を避け、山の中で防備を固めながら自給自足の生活を送る集団もあった
→このような状況や村を理想化して描写したものに、東晋の詩人である
陶潜(陶淵明)という人の「桃花源記」という作品がある
ポイント
・アジアの社会経済の変化について、後漢を中心におさえる
このあたりが今回のポイントです