唐と周辺の国々との関係について
唐と周辺の国々との関係について考えてみます
・唐と周辺の国々との関係について
・唐は、周辺の国々の様々な文化を取り入れて、国際色のある文化を作り上げていった
→その結果、東アジア文化圏は唐を中心に強いまとまりをみせていった
・隋と唐の時代に、モンゴル高原を中心とする北方で勢力を持ったのは、
トルコ系の突厥とウイグルだった
→突厥とウイグルは、それぞれ特徴的な動きを見せた
・突厥-・6世紀中ごろに中央アジアから中国東北地方にいたる大遊牧国家を作った
・突厥は、6世紀の終わりに東西に分裂したものの、唐の建国に際して
騎馬軍団を持って援助するなど大きな勢力を持っていた
・ウイグル-・8世紀半ばに東突厥を滅ぼした
・唐代中期以降の混乱に乗っかって、中国を圧迫していた
・9世紀にキルギスに負けて滅亡してしまった
・一部はタリム盆地に移動した
→突厥やウイグルで作られた独自の文字は、北方の遊牧民の文字としての最初のものであると
言われている
・東方の朝鮮や日本は、朝貢制度を通して律令体制、仏教化、都城の制などを導入していた
→この導入によって、自分の国家の整備に役立てた
・朝鮮半島では、唐が新羅と手を組んで、百済と高句麗を倒した
※唐が百済を攻撃した時、日本は百済に援軍を送ったが、663年の白村江の戦いというので、
唐と新羅の連合軍に百済は負けてしまった
=この動きの結果、新羅が朝鮮半島の多くを支配することになった
→その後、新羅は唐の官僚制を導入した
※しかし、社会の基盤は骨品制という氏族的な身分制度だった
→新羅は仏教を保護し、首都の慶州というところを中心にして、仏教の文化が繁栄していった
→そして、高句麗の滅亡後、中国東北地方に渤海という国を作った
=渤海は、唐の官僚制や都城のプランを積極的に取り入れ、日本とも交流していき、
8~9世紀に栄えた
・一方で、日本では、遣隋使や遣唐使を送って、中国文化を日本に取り入れる
ということを行っていった
→その時に、645年の大化の改新という出来事を通じて、律令国家体制を整えていった
※日本の平城京で栄えた天平文化という文化は、国際的な唐の文化の影響を
強く受けたと言われている
・チベットでは、7世紀にソンツェン=ガンポという人が吐蕃という統一国家を作った
→この時に、文化の面で以下のようなことが起きた
・インド系の文字を中心に、チベット文字が作られた
・インド仏教とチベットの民間信仰の融合によるチベット仏教(ラマ教)が生まれた
→さらに、8世紀の後半に、唐とチベットが争いを起こすということが起きた
=この時に、雲南で南詔という人が勢力を広げ、
唐の文化の影響を受けて栄えていった
・唐の勢力は、東南アジアにも影響を与えていった
→そのため、カンボジア、チャンパー、シュリー、ヴィジャヤなど、
インド文化の影響を受けた国々も唐に朝貢していった
ポイント
・唐の動きとその周辺の国々の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです