隋の統一と唐の繁栄について
隋の統一と唐の繁栄について考えてみます
・隋の統一と唐の繁栄について
・北朝の北周から、隋の文帝(楊堅)という人が出てきた
→文帝は、以下のようなことを行った
・南朝の陳を倒した
・南北に分裂していた中国を統一した
・都を大興城(長安)に定めた
・隋は、南北朝時代の様々な王朝で行われていた制度を取りいれた
→特に、均田制、租庸調制、府兵制を使って、財政や軍事の基礎を固めようとした
→一方で、九品中正を廃止して、儒学の試験によって多くの人材を確保する
という科挙の制度を作って、中央集権化を目指した
・文帝の後に、子どもである煬帝という人が出てきた
→煬帝の時に、大運河が完成した
※大運河には、以下のような特徴がある
・南北朝時代に、開発の進んだ江南と華北とを結びつけた
・中国史上初めての南北の交通幹線だった
・当時は、上のような大土木工事や周辺諸国への度重なる遠征に徴発された農民の
困窮がはなはだしかった
※さらに、高句麗遠征の失敗を機会に各地で反乱が起きた
=その結果、隋は統一してから30年足らずで滅んでしまった
・隋の終わりのころの反乱の時に、軍閥の李淵という人が挙兵した
→その後、618年に李淵は隋を倒して唐を作った
※この時に、長安を都にした
→2代目の太宗(李世民)という人は、中国を統一すると同時に、東突厥の主力を従わせた
→その次に出てきた高宗という人は、東は百済、高句麗を倒し、
西は西域のオアシス都市を領有して勢力圏を広げていった
※征服地には、都護府というのを置き、実際の統治はその地の有力者に任せた
=このような政策を、羈縻政策という
ポイント
・隋の統一についておさえる
・唐の繁栄についておさえる
このあたりが今回のポイントです