中国分割の問題について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/17 15:11      
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中国分割の問題について考えてみます

 

 

・中国分割の問題について

 

 

 ※日清戦争で、清が敗北するということが起きた

  →すると、欧米の国々は清朝の領土内での利権獲得のための競争を始めた

 

 

 

 ・ロシアは、シベリア鉄道を建設して、南へ進む機会を狙っていた

  ※その裏で日本が、下関条約によって清から遼東半島を獲得した

   →そこでロシアは、フランスとドイツを誘って、日本に圧力をかけることで

    遼東半島を清に返させた

    =この出来事を三国干渉という

 

 ・三国干渉の後、そのお礼として1896年に清から東清鉄道の敷設権をもらった

 

 

 

 

 ・また、ドイツが宣教師殺害事件という出来事を口実にして、1898年に膠州湾を租借した

  →すると、ドイツにならって、他の国が以下のような動きを見せた

   ・1898年にロシアが遼東半島南部を租借した

   ・1898年にイギリスが威海衛と九竜半島を租借した

   ・1899年にフランスが広州湾を租借した

 

  →さらに、以下のような利権の優先権を各国が清に認めさせて、各国の勢力範囲を定めた

   ・ロシア-東北地方

   ・イギリス-長江流域と広東東部

   ・フランス-広東西部と広西地方

   ・日本-台湾の対岸にあたる福建省

 

  →当時、アメリカ合衆国は、アメリカ=スペイン戦争でフィリピンを獲得したため、

   中国に関心を高めていた

   ※しかし、中国への進出はアメリカが遅れてしまった

    =そこでアメリカは、1899年~1900年にかけて国務長官のジョン=ヘイ

     という人の名前で、中国の門戸開放、機会均等、領土保全を提唱した

     →この提唱によって、列国の中国の分割の勢いが若干緩んだ

 

 

 

 

 ・日清戦争の敗北後に、中国の内部で、日本の明治維新にならった根本的な

  制度改革(変法)を主張する意見が出てきた

  ※その中心となったのが、公羊学派の康有為という人だった

   

  ※公羊学派と康有為について

   ・公羊学派・・「春秋」の注釈の一つである「公羊伝」を重視する学派のこと

            社会改革や実践への意識が強い

   ・康有為は、儒学の祖である孔子の教えは、保守的なものではなく、

    積極的な改革を目指したものだとする新しい学説を誕生させた

    →そこで康有為は、1898年に光緒帝という人を動かして政治の革新を強引に行った

     =この革新を、戊戌の変法という

   ・しかし、改革に反対する保守派が、西太后という人と手を組んでクーデタを起こした

    ※このクーデタを戊戌の政変という

     →戊戌の政変によって、光緒帝が幽閉され、康有為や梁啓超などが

      失脚して日本に亡命した

      =その結果、改革が3か月あまりで失敗に終わった

 

 

ポイント

・中国に対する各国の動きをおさえる

・中国内部の動きをおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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