日清戦争と三国干渉について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/28 09:04      
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日清戦争と三国干渉について考えてみます

 

 

・日清戦争とその流れについて

 

 

 ・天津条約が結ばれた後に、日本は朝鮮に対する影響力を強くしようとした

  →そこで日本は、軍事力を高めると同時に、清の軍事力を武器にして

   日本に抵抗する朝鮮との対立を深めた

 

  ※どのような軍事力の強化を行ったのか

   ・1878年に、参謀本部という機関を作って、

    統帥部(軍事を指揮する部)を強化した

   ・1882年に軍人勅諭を出して、軍人が天皇に誓う気持ちを高めさせた

   ・1888年に陸軍が鎮台から師団という軍隊に変わった

 

  ※朝鮮との対立が深まったことで、日本と朝鮮はどのような行動を取ったのか

   ・朝鮮は1889年から、防穀令(穀物の輸出を禁止した法律のこと)を出した

   ・日本は防穀令を廃止させた上で、輸出を禁止していた間の損害賠償を要求した

    →1893年に要求が通った

 

 

 

 ・1894年に、甲午農民戦争(東学の乱)という反乱が起きた

  

  ※甲午農民戦争・・朝鮮で東学の信徒を中心に、農民が朝鮮の政府に対して

           減税と日本の排除を求めた反乱のこと

   東学・・キリスト教(西学)に反対する民族宗教のこと

   →農民の反乱は、東学の幹部によって指導されて、

    朝鮮半島の南部を制圧するほどの勢いになった

 

 

 

 ・甲午農民戦争が起きた時に、清は朝鮮の政府にお願いされて朝鮮に兵隊を送ると同時に、

  天津条約のルールに従って日本に兵隊を送ったことを報告した

  →日本は、この報告を受けて朝鮮に兵隊を送った

 

  →上のように、両方の国から軍が来てしまうような状況だったので、

   農民の反乱軍はすぐに朝鮮の政府と和解した

 

 

 ・しかし、日本と清は朝鮮の政治改革について揉めてしまい、

  結果的に日本と清が戦う状態になってしまった

  ※イギリスは、最初は日本の出兵に批判的だった

   →しかし、日英通商航海条約に調印してからイギリスは態度を変えて、

    日本に友好的になった

    =そのため、世界での地位や国際情勢は日本の方が有利だった

 

 

 ・1894年8月に日本は清に宣戦布告をした

  =この動きによって、日清戦争がはじまった

 

 

 

 

 

・日清戦争の状況について

 

 

 ・日清戦争が始まったらすぐに、政党が政府の批判を中止した

  →そのため、議会は戦争に関する予算や法律案などを全て承認していった

   ※日清戦争にかかった費用は約2億円で、

    当時の国家予算の2倍ほど使ったと言われている

 

 

 ・戦争は、軍隊の育成や新しい兵器の使用などを多く行っていた日本が

  圧倒的に有利な状況になった

 

 

 ・日本は、清の軍隊を朝鮮から追い出した

  →その後、遼東半島という半島を占領した

  →さらにその後、黄海という場所での海戦(海での戦い)を行い、

   清の北洋艦隊という艦隊を撃破した

  →最終的に、清の拠点である威海衛という場所を占領した

   =結果、日本の勝利に終わった

 

 

 

 ・勝利の結果、1895年4月に、日本の伊藤博文・陸奥宗光と清の李鴻章という

  人達との間で、下関条約という条約が結ばれた

 

   ※下関条約の内容について

    ・清は朝鮮の独立を認める

    ・遼東半島、台湾、澎湖諸島という場所を日本にゆずる

    ・賠償金として2億テール(当時の日本円で3億1000万円)を日本に支払う

    ・新しく、沙市、重慶、蘇州、杭州という4つの港を開く  など

 

 

 

 

 

・三国干渉について

 

 

 ・遼東半島を日本にゆずるという内容に、ロシアが反応した

  ※ロシアは、東アジアに進出することを考えていたため、

   遼東半島が日本に移ることに反応した

 

 

 ・そこでロシアは、フランスとドイツを誘って、遼東半島を清に返すことを日本に求めた

  =この動きを、三国干渉という

 

 

 ・日本は、3つの国に反抗することは無理だと考えた

  →そのため、日本は遼東半島を清に返した

 

  ※この時に日本は、「臥薪嘗胆」という考えがあった

   →そのため、国民のロシアに対する怒りが増えてきた風潮を使って、

    日本は軍備を拡大させていった

    ・臥薪嘗胆・・復讐したり、目標を達成したりするために辛く苦しい思いをして

           努力をすること

 

 

 

 ・日本政府は、遼東半島を返してしまった分、新しく得た台湾を治めることに力を入れた

  →そこで、日本は1895年に樺山資紀という人を台湾総督に任命した

   ※樺山資紀は台湾の人の抵抗を武力で抑えつけることを行っていた   

   

   ※台湾総督・・行政などを指揮する台湾総督府のトップの人のこと

 

 

 

 ・台湾の統治について

 

  ・台湾総督は、基本的に陸軍か海軍の大将か中将が任命された

 

  ・台湾総督には、軍事を指揮する権利、行政や司法や立法を動かす権利などがあった

 

  ・1898年から、台湾総督の児玉源太郎という人の下で、

   後藤新平という人が台湾の人々の幸福度を

   高めるような政治を目指して、以下のような行動を取った

   →・土地調査事業を行い、土地制度を近代化させようとした

    ・台湾銀行や台湾製糖会社などを作って、産業を成長させようとした

 

  ・台湾の支配は、現地の商人や地主などのようなお金を持っている層を

   納得させて上手く取り込みながら行われた

   

  ・一方で、お金が無い農民などは、日本の支配に対して抵抗し続けた

   ※そのため、時々日本に反抗するような乱を起こすことがあった

    →日本は、反乱に対しては徹底して弾圧していった

     

  ※日本が台湾を支配する状況は1945年まで続いた

 

 

 

ポイント

・日清戦争までの流れを押さえる

・日清戦争の内容を押さえる

・日清戦争のその後を、三国干渉を中心に押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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