インドの古典文化と南インドの王朝について
インドの古典文化と南インドの王朝について考えてみます
・インドの古典文化について
・4世紀に、グプタ朝という王朝が誕生した
→グプタ朝は、北インド全域を支配する大王国に成長した
・グプタ朝は、中央部の王国直轄領、今までの支配者がグプタ朝の臣下(王に仕える人)
として統治する地域、貢納によって服属する周辺の属領からなっている
→グプタ朝は、分権的な統治体制が特徴だと言える
・当時は、仏教やジャイナ教が盛んとなっていた
→一方で、一時的に影響力を失いかけていたバラモンが再び重要視されるようになってきた
※バラモンの重要視によって、以下のようなことが起きた
・バラモンの言葉であるサンスクリット語が公用語化された
・バラモンの人達の生活を支えるために村落が与えられた
・当時は、ヒンドゥー教が民間の信仰や慣習を吸収して段々と成立していき、
社会に定着するようになった
※ヒンドゥー教の特徴について
・シヴァ神やヴィシュヌ神など、多くの神々を信仰する多神教だった
・特定の教義や聖典を土台とした宗教ではなかった
・生活や思考の全体に関わる宗教だった
→ヒンドゥー教は、現在にいたるまでインド世界の独自性を作り上げる土台に
なっていると言われている
・当時は、「マヌ法典」や、サンスクリットの二大叙事詩である
「マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」などが長い期間をかけて
ほぼ現在伝えられるような形に完成したと言われている
※マヌ法典・・紀元前2世紀から2世紀にかけて成立した法典
最初の人類だと言われるマヌがしゃべったものだと言われている
四つのヴァルナがそれぞれ守るべきルールについて決め、
バラモンの特権的地位が協調されている
※ラーマーヤナ・・王子ラーマとその妻のシーターという人との物語
現在もインドから東南アジア地域の影絵芝居や舞踊などの
テーマになっている
・その他に、以下のような文化が出て来た
→・宮廷詩人だったカーリダーサという人が、「シャクンタラー」という戯曲を作った
・天文学や文法学、数学などが発達し、十進法による数字の表記法や
ゼロの概念などが生み出された
→この文化は、後にイスラーム世界に伝えられて、自然科学を発展させる基礎になった
・美術では、ガンダーラの影響から抜け出て、純インド的な表情を持つ
グプタ様式が誕生した
→この時に、インド古典文化の黄金期が出て来た
・当時は、都市での経済活動が活発だった
→王の像が描かれた金貨や宝貝など、様々な貨幣が発行された
※都市での経済活動は、チャンドラグプタ2世の時が最盛期だった
※この時代には、中国の東晋から法顕が訪れている
・当時のグプタ朝は、以下のようなことが起きて、衰退していた
→・異民族に侵略された
・ローマ帝国の混乱によって、西方との交易が打撃を受けた
・地方の勢力が台頭してきた
=結果的に、6世紀なかばにグプタ朝は衰退した
→その後、ハルシャ王という人がヴァルダナ朝という王朝を作った
→ヴァルダナ朝は、北インドの大半を支配した
※ハルシャ王が死んだ後に、ヴァルダナ朝は急速に衰退した
=その結果、北インドは協力な統一政権を持たない状況が長く続くことになった
※さらに、それまでの重要な交易相手だったローマ帝国やササン朝が
崩壊するということが起きた
=そのため、商業活動が衰退していき、都市も衰退していった
・当時の支配者の多くは、ヒンドゥー教の熱心な信者だった
→支配者は、信仰に対しては寛容的で、仏教やジャイナ教なども保護をした
※当時の仏教とジャイナ教について
・唐の時代の中国からインドに旅をした玄奘という人は、
ハルシャ王の厚い保護を受けながら、ナーランダー僧院というところで仏教を学んだ
※玄奘は、帰国して「大唐西域記」を書いた
・さらに、7世紀の後半には義浄という人がインドに行き、「南海寄帰内法伝」を書いた
→上のようなことがあったが、この時代は商業活動の衰退によって
仏教は商人の支援を失った
→さらに、6世紀なかばからバクティ運動という、
仏教やジャイナ教を攻撃する運動が盛んになった
=そのため、仏教やジャイナ教は衰退していった
※バクティ運動とは
・以下のような特徴を持つ宗教運動のこと
→・仏教とジャイナ教に対する攻撃
・シヴァ神やヴィシュヌ神に対する熱烈な信仰
・神の愛の強調
・歌や踊りを伴った信仰告白 など
※しかし、インドでの仏教の衰退、ジャイナ教の勢いの停滞などによって、
ヒンドゥー教の立場の優位がはっきりすると、
宗教的な対立という側面は消えていった
・8世紀のインドは、地方政権の時代になった
→そのため、様々な王朝が出て来た
※当時、ベンガル地方にあった王朝は、ナーランダーを仏教の中心地として復興した
=そのため、インドの他の地域で衰退していた仏教に最後の繁栄期をもたらした
・南インドの王朝について
・南インドは、ドラヴィダ系の人々の地域であり、独自の世界がそこにはあった
・南インドでは、紀元前後からタミル語を使った文芸活動が盛んに行われた
・バクティ運動の中で、多くの吟遊詩人が生まれた
※この時にできた作品は、現在も読み継がれている
・ローマ帝国の衰退後に、交易先として中国の重要性が増してきた
→この時に、大量の香辛料がインドや東南アジアから中国に輸出されるようになってきた
・南インドにあったチョーラ朝という王朝は、以下のようなことを行っていた
→・東南アジアに軍事遠征していた
・宋に施設を派遣していた
=チョーラ朝は、海をつうじて外の世界と密接につながっていた
ポイント
・グプタ朝の様子についておさえる
・仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教についておさえる
・当時の文化についておさえる
・南インドの王朝についておさえる
このあたりが今回のポイントです