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	<title>アラエス &#187; ビスマルク体制</title>
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	<item>
		<title>ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/980</link>
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		<pubDate>Wed, 16 Oct 2013 07:23:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史後期・末期]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[パン＝スラヴ主義]]></category>
		<category><![CDATA[ビスマルク体制]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン条約]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア＝トルコ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[新三帝同盟]]></category>
		<category><![CDATA[皇帝狙撃事件]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義者鎮圧法]]></category>
		<category><![CDATA[社会保険制度]]></category>

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		<description><![CDATA[ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について考えてみます &#160; &#160; ・ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について &#160; &#160; 　・１８７１年の１月に、ヴィルヘルム１世はヴェルサイユでドイツ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/980">ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７１年の１月に、ヴィルヘルム１世はヴェルサイユでドイツ皇帝の位についた</p>
<p>　　＝その結果、ドイツ帝国が誕生した</p>
<p>　　　※ドイツ帝国は連邦制で、プロイセン王がドイツ皇帝を兼ねていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ドイツ帝国について</p>
<p>　　　・帝国議会は、男性普通選挙制で選ばれた</p>
<p>　　　・帝国の宰相は皇帝についてだけ責任を負った</p>
<p>　　　　→そのため、帝国議会は無力だった</p>
<p>　　　・帝国の宰相は、ビスマルクという人が約２０年間担当し、</p>
<p>　　　　半ば独裁的な権力をふるっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ビスマルクは、南ドイツで有力なカトリック教徒を警戒していた</p>
<p>　　　　→そのため、ビスマルクは文化闘争というのを始めて、カトリック教徒をおさえつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、工業発展と同時に労働者階級が増えた</p>
<p>　　→これらの労働者階級は、専制政治を批判する社会主義運動が勢力をのばしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツの社会主義運動は、１８６０年代にラサールという人の指導で始まった</p>
<p>　　→その後、ベーベルなどによるマルクス主義の運動が出てきた</p>
<p>　　　＝そして、１８７５年にラサールとベーベルが合同して、後の社会民主党を作った</p>
<p>　　　　※最初は社会主義労働者党という名前で、１８９０年に正式に社会民主党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ビスマルクは、社会主義運動を警戒していた</p>
<p>　　※この警戒をしていた裏で、１８７８年に皇帝狙撃事件というのが起きた</p>
<p>　　　→そこでビスマルクは、社会主義者鎮圧法というのを制定して、社会主義政党を弾圧した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でビスマルクは、災害保険や疾病保険などの社会保険制度を行った</p>
<p>　　※この制度の背景には、労働者を統合させるという狙いがあった</p>
<p>　　　→この制度に加えて、保護関税政策を行ってドイツ帝国の工業化を進めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ビスマルクは、外交面で以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・フランスを孤立させて、ドイツの安全を確保することを考えた</p>
<p>　　　　→そこでビスマルクは、クリミア戦争以降崩れていたヨーロッパの</p>
<p>　　　　　列強の体制を再構築した</p>
<p>　　　・１８７３年に、ドイツ、オーストリア、ロシアの３国で、三帝同盟という同盟を結んだ</p>
<p>　　　　※しかし、ロシアはバルカンでパン＝スラヴ主義というのを利用して</p>
<p>　　　　　勢力の拡大を狙った</p>
<p>　　　　　＝その結果、ロシアはオーストリアと対立するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※パン＝スラヴ主義・・バルカン系のスラヴ民族の団結によって、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　オスマン帝国からの独立を目指す運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７５年に、オスマン帝国の支配下のボスニア・ヘルツェゴヴィナのギリシア正教徒が</p>
<p>　　反乱を起こすということが起きた</p>
<p>　　→すると、ロシアは１８７７年に、ロシア＝トルコ戦争というのを起こして、</p>
<p>　　　オスマン帝国と戦った</p>
<p>　　　※この時は、ロシアが勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１８７８年のサン＝ステファノ条約でブルガリアをロシアの保護下に置いた</p>
<p>　　　＝結果的に勢力の拡大に成功した</p>
<p>　　　　※しかし、ロシアの勢力の拡大に、イギリスとオーストリアが反対した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、ビスマルクがベルリン会議という会議を開いて、各国の利害を調整した</p>
<p>　　　＝その結果、サン＝ステファノ条約が破棄され、新しくベルリン条約というのが結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ベルリン条約では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・ロシアの勢力がおさえられた</p>
<p>　　　　・ルーマニア、セルビア・モンテネグロの独立が認められた</p>
<p>　　　　・ブルガリアは、オスマン帝国内の自治国になった</p>
<p>　　　　・イギリスがキプロスの統治権を獲得した</p>
<p>　　　　・オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のような動きの結果、以下のような行動が取られた</p>
<p>　　　・ドイツの国際的な力が強くなった</p>
<p>　　　・ロシアが一時的に南下政策を控えた</p>
<p>　　　・その代わり、ロシアが中央アジアや東アジアへの進出を目指すようになった</p>
<p>　　　・１８８１年に新三帝同盟が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ビスマルクは、イタリアを誘って、１８８２年にドイツ、オーストリア、イタリアの</p>
<p>　　三国同盟を結んだ</p>
<p>　　※ビスマルクは、イタリアがフランスによるチュニジアの保護国化に</p>
<p>　　　不満を持っていたことを知って誘った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８７年に、オーストリアとロシアの対立が激しくなって三帝同盟が消滅する</p>
<p>　　ということが起きた</p>
<p>　　→そこでドイツは、１８８７年にドイツとロシアとの間で再保障条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　※この条約によって、フランスの包囲を狙った　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のような、ドイツの安全を目指すために様々な同盟を結ぶ体制を、ビスマルク体制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ドイツ帝国の誕生をおさえる</p>
<p>・ビスマルクの外交の内容と他の国のそれぞれの動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/980">ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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