ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/16 16:23      
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ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について考えてみます

 

 

・ドイツ帝国の誕生とビスマルクの外交について

 

 

 ・1871年の1月に、ヴィルヘルム1世はヴェルサイユでドイツ皇帝の位についた

  =その結果、ドイツ帝国が誕生した

   ※ドイツ帝国は連邦制で、プロイセン王がドイツ皇帝を兼ねていた

 

 

  →ドイツ帝国について

   ・帝国議会は、男性普通選挙制で選ばれた

   ・帝国の宰相は皇帝についてだけ責任を負った

    →そのため、帝国議会は無力だった

   ・帝国の宰相は、ビスマルクという人が約20年間担当し、

    半ば独裁的な権力をふるっていた

 

   ※ビスマルクは、南ドイツで有力なカトリック教徒を警戒していた

    →そのため、ビスマルクは文化闘争というのを始めて、カトリック教徒をおさえつけた

 

 

 

 

 ・一方で、工業発展と同時に労働者階級が増えた

  →これらの労働者階級は、専制政治を批判する社会主義運動が勢力をのばしていった

 

 ・ドイツの社会主義運動は、1860年代にラサールという人の指導で始まった

  →その後、ベーベルなどによるマルクス主義の運動が出てきた

   =そして、1875年にラサールとベーベルが合同して、後の社会民主党を作った

    ※最初は社会主義労働者党という名前で、1890年に正式に社会民主党になった

 

 

 

 ・ビスマルクは、社会主義運動を警戒していた

  ※この警戒をしていた裏で、1878年に皇帝狙撃事件というのが起きた

   →そこでビスマルクは、社会主義者鎮圧法というのを制定して、社会主義政党を弾圧した

 

 ・一方でビスマルクは、災害保険や疾病保険などの社会保険制度を行った

  ※この制度の背景には、労働者を統合させるという狙いがあった

   →この制度に加えて、保護関税政策を行ってドイツ帝国の工業化を進めていった

 

 

 

 ・ビスマルクは、外交面で以下のようなことを行った

  →・フランスを孤立させて、ドイツの安全を確保することを考えた

    →そこでビスマルクは、クリミア戦争以降崩れていたヨーロッパの

     列強の体制を再構築した

   ・1873年に、ドイツ、オーストリア、ロシアの3国で、三帝同盟という同盟を結んだ

    ※しかし、ロシアはバルカンでパン=スラヴ主義というのを利用して

     勢力の拡大を狙った

     =その結果、ロシアはオーストリアと対立するようになった

 

    ※パン=スラヴ主義・・バルカン系のスラヴ民族の団結によって、

               オスマン帝国からの独立を目指す運動のこと

 

 

 

 

 ・1875年に、オスマン帝国の支配下のボスニア・ヘルツェゴヴィナのギリシア正教徒が

  反乱を起こすということが起きた

  →すると、ロシアは1877年に、ロシア=トルコ戦争というのを起こして、

   オスマン帝国と戦った

   ※この時は、ロシアが勝利した

 

  →その後、1878年のサン=ステファノ条約でブルガリアをロシアの保護下に置いた

   =結果的に勢力の拡大に成功した

    ※しかし、ロシアの勢力の拡大に、イギリスとオーストリアが反対した

 

  →そこで、ビスマルクがベルリン会議という会議を開いて、各国の利害を調整した

   =その結果、サン=ステファノ条約が破棄され、新しくベルリン条約というのが結ばれた

 

   ※ベルリン条約では、以下のようなことが決められた

    ・ロシアの勢力がおさえられた

    ・ルーマニア、セルビア・モンテネグロの独立が認められた

    ・ブルガリアは、オスマン帝国内の自治国になった

    ・イギリスがキプロスの統治権を獲得した

    ・オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権を獲得した

 

 

  =上のような動きの結果、以下のような行動が取られた

   ・ドイツの国際的な力が強くなった

   ・ロシアが一時的に南下政策を控えた

   ・その代わり、ロシアが中央アジアや東アジアへの進出を目指すようになった

   ・1881年に新三帝同盟が成立した

 

 

 

 

 ・ビスマルクは、イタリアを誘って、1882年にドイツ、オーストリア、イタリアの

  三国同盟を結んだ

  ※ビスマルクは、イタリアがフランスによるチュニジアの保護国化に

   不満を持っていたことを知って誘った

 

 ・1887年に、オーストリアとロシアの対立が激しくなって三帝同盟が消滅する

  ということが起きた

  →そこでドイツは、1887年にドイツとロシアとの間で再保障条約という条約を結んだ

   ※この条約によって、フランスの包囲を狙った 

 

  =上のような、ドイツの安全を目指すために様々な同盟を結ぶ体制を、ビスマルク体制という

 

 

ポイント

・ドイツ帝国の誕生をおさえる

・ビスマルクの外交の内容と他の国のそれぞれの動きをおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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