イタリアの統一について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/16 16:04      
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イタリアの統一について考えてみます

 

 

・イタリアの統一について

 

 

 ・分裂が続いていたイタリアでは、二月革命後にマッツィーニという人が参加し、

  ローマ共和国が作られた

  ※マッツィーニ・・「青年イタリア」を指導してきた人

  ※「青年イタリア」・・1831年に結成で、1834年に一度崩壊したが、

             1843年に再結成された

   →ローマ共和国は、フランス軍に倒された

 

 ・上に加えて、オーストリアがイタリア統一の障害となっていたため、

  サルデーニャ王国というのがオーストリアと戦った

  →しかし、サルデーニャ王国も敗北した

 

 

 

 ・その後、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世という人が、サルデーニャの王位についた

  →この人のもとで、以下のようなことが起きた

   ・自由主義者のカヴールという人が首相になって、工業化を推進していった

   ・ナポレオン3世と秘密同盟を結んで、1859年にオーストリアと戦った

 

 ・1859年のオーストリアとの戦いに勝ったサルデーニャは、

  ロンバルディアという場所を獲得した

  →この後の1860年に、サヴォイアとニースという2つの場所をフランスに譲った

   =その結果、中部イタリアも併合した

 

 ・さらに、1860年に「青年イタリア」出身のガリバルディという人が、

  両方のシチリア王国を占領した

  ※この時占領した両方のシチリア王国は、サルデーニャ王に譲った

 

 

 

  =上のような流れの結果、1861年3月に、イタリア王国が成立した

   ※この時、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世という人が王位についた

 

 ・その後、1866年にオーストリア領だったヴェネツィアを併合した

  ※さらに、1870年にローマ教皇領も占領した

   =その結果、イタリア国家の統一が実現した

 

  

   ※統一の時のイタリアについて

    ・トリエステ、南チロルなどは、オーストリア領にとどまった

     =これを、「未回収のイタリア」という

    ・ヴァチカンの教皇庁にこもったローマ教皇は、イタリア政府と対立を続けた

    ・工業の発達した北部と、発達していなくて貧しい南部の格差は、

     解消されなかった

 

 

ポイント

・イタリア統一までの流れをおさえる

・イタリア統一の時の様子についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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