イタリアの統一について
イタリアの統一について考えてみます
・イタリアの統一について
・分裂が続いていたイタリアでは、二月革命後にマッツィーニという人が参加し、
ローマ共和国が作られた
※マッツィーニ・・「青年イタリア」を指導してきた人
※「青年イタリア」・・1831年に結成で、1834年に一度崩壊したが、
1843年に再結成された
→ローマ共和国は、フランス軍に倒された
・上に加えて、オーストリアがイタリア統一の障害となっていたため、
サルデーニャ王国というのがオーストリアと戦った
→しかし、サルデーニャ王国も敗北した
・その後、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世という人が、サルデーニャの王位についた
→この人のもとで、以下のようなことが起きた
・自由主義者のカヴールという人が首相になって、工業化を推進していった
・ナポレオン3世と秘密同盟を結んで、1859年にオーストリアと戦った
・1859年のオーストリアとの戦いに勝ったサルデーニャは、
ロンバルディアという場所を獲得した
→この後の1860年に、サヴォイアとニースという2つの場所をフランスに譲った
=その結果、中部イタリアも併合した
・さらに、1860年に「青年イタリア」出身のガリバルディという人が、
両方のシチリア王国を占領した
※この時占領した両方のシチリア王国は、サルデーニャ王に譲った
=上のような流れの結果、1861年3月に、イタリア王国が成立した
※この時、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世という人が王位についた
・その後、1866年にオーストリア領だったヴェネツィアを併合した
※さらに、1870年にローマ教皇領も占領した
=その結果、イタリア国家の統一が実現した
※統一の時のイタリアについて
・トリエステ、南チロルなどは、オーストリア領にとどまった
=これを、「未回収のイタリア」という
・ヴァチカンの教皇庁にこもったローマ教皇は、イタリア政府と対立を続けた
・工業の発達した北部と、発達していなくて貧しい南部の格差は、
解消されなかった
ポイント
・イタリア統一までの流れをおさえる
・イタリア統一の時の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです