十字軍の動きについて -十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について-
十字軍の動きについて考えてみます
・十字軍が出てくるまでの流れについて
・西ヨーロッパの封建社会は西暦1000年ころから、300年ほど
安定と成長が続く時代になった
→そのため、この時代には以下のような特徴がある
・当時は気候が温暖で、三圃制の普及や水車の改良など農業技術の進歩によって
農業生産が拡大した
・農業の影響もあって、人口が飛躍的に増えた
・人口の増加の影響によって、西ヨーロッパ世界が次第に
内側でも外側でも拡大していった
※どのような拡大の動きがあったのか
・修道院を中心にした開墾運動
・オランダの干拓
・エルベ川以東への東方の植民
・イベリア半島の国土回復運動
・巡礼の流行 など
→中でも大規模な西ヨーロッパの拡大が、十字軍だった
・11世紀に、セルジューク朝が東地中海沿岸に進出し、
聖地イェルサレムを支配下に置くということが起きた
※セルジューク朝は、ビザンツ帝国をおびやかすほどの力があった
→そのため、ビザンツの皇帝は教皇に助けてもらうことをお願いした
→そこで、当時の教皇のウルバヌス2世は1095年にクレルモン宗教会議を行って、
聖地回復の聖戦を起こすということを提唱した
=その結果、1096年に諸侯や騎士によって作られた第1回十字軍が出発した
→そして、1099年にイェルサレムを占領して、イェルサレム王国を作った
→その後、イスラーム勢力が勢いを盛りかえしてくるということが起きた
※そのため、イスラーム勢力に対して第2回十字軍が誕生した
→その後、アイユーブ朝のサラディンという人に聖地を再び奪われた
※そこで、聖地を回復するために、ドイツ皇帝、フランス国王、イギリス国王が参加して
第3回十字軍が作られた
=しかし、第2回十字軍も第3回十字軍も成功しなかった
・その後、第4回十字軍が誕生した
→しかし、第4回十字軍はヴェネツィア商人の要求があったため、聖地の回復という目的を
捨てて、ヴェネツィアの商業上のライバルであるコンスタンティノープルを占領した
=その結果、第4回十字軍はラテン帝国というところを作った
※その後も第7回まで十字軍は続いたが、聖地回復という目的が達成されることはなかった
※十字軍の動きによって、以下のような動きも見られるようになった
・聖地への巡礼の保護を目的として、ドイツ騎士団などの宗教騎士団が
各地で活躍するようになった
・少年十字軍という軍のように、熱狂的動機によって誕生し、
悲劇的な結末に終わった運動もあった
・十字軍の動きによる周辺への影響について
※十字軍は前提として、民衆の宗教的な情熱だけでなく、参加者それぞれの動機が
複雑に絡んで誕生したものである、ということをおさえておく必要がある
・教皇は、十字軍の登場を機会に、東西の両方の教会を統一しようという計画を作った
→そこで、諸侯は領地や戦利品を期待し、イタリアの様々な都市は商業の利益を
拡大しようとした
※十字軍は結果的に失敗したものの、その後の西ヨーロッパ世界に
大きな影響を与えたと言われている
・一方で、十字軍の何度もの失敗は、教皇の権威が揺らぐことになった
※そのため、遠征を指揮した国王の権威は高まることになった
・十字軍の輸送によって、イタリアの様々な都市は繁栄した
→そのため、地中海貿易による東方との交易がもう一度盛んになっていった
=この動きによって、以下のようなことが起きた
・東西の間で人とものとの交流が活発になった
・東方の先進文明圏であるビザンツ帝国やイスラームから文物が流入してきた
・西ヨーロッパ人の視野が広がった
→以上のような動きが十字軍をきっかけにして起こり、
結果的に中世西ヨーロッパが大きく変わることになった
ポイント
・十字軍についておさえる
・十字軍までの流れについておさえる
・十字軍の周辺の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです