フランク王国の発展とイスラームとの関係について
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フランク王国の発展とイスラームとの関係について考えてみます
・フランク王国の発展とイスラームとの関係について
・481年に全てのフランク人が、メロヴィング家のクローヴィスという人によって統一された
→この動きによって、フランク王国はガリア中部を支配下において、
東ゴート王国にならぶ強国になった
※当時、他のゲルマン人の多くが異端であるアリウス派キリスト教を信仰していた
→しかし、グローヴィスは正統派のアタナシウス派に改宗した
※この改宗は、後にフランク王国がローマ人貴族を支配層に取り込んで、
西ヨーロッパの中心勢力になる一因だった
・6世紀の半ばに、フランク王国がブルグンド王国などを倒して全てのガリアを統一した
※しかし、8世紀になるとメロヴィング朝という王朝の権力が衰えていくようになった
=その結果、王家の行政と財政の長官である宮宰という役職が
実権を握るようになっていった
・一方でこのころに、アラビア半島から急速に広がって地中海世界に侵入したイスラーム勢力が、
フランク王国に近づきつつあった
→イスラーム勢力は、ウマイヤ朝時代にアラブ人のイスラーム教徒が北アフリカを西に進み、
イベリア半島に渡って711年に西ゴート王国を倒した
※さらに、イスラーム勢力がピレネー山脈を越えてガリアに侵攻しようとしていた
→そこで、メロヴィング朝の宮宰であったカール=マルテルという人が
732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム軍を倒し、
西方キリスト教世界を外敵から守ることに成功した
※カール=マルテルの子どものピピンという人は、
751年にメロヴィング朝を廃して王位についた
=その結果、カロリング朝という王朝を作った
・今までの様々なゲルマン国家は、大体は旧西ローマ帝国の統治制度を受け継いだ
※さらに、地中海商業と都市生活にもとづく地中海世界も基本的にはまだ残っていた
→しかし、イスラーム勢力の侵入と同時に、地中海世界の統一性が崩れ出してきてしまった
=その結果、以下のようなことが起きた
・地中海がイスラーム勢力に支配された
・キリスト教徒が自由に交通できなくなった
・地中海の商業圏が衰退してしまった
ポイント
・フランク王国の流れをおさえる
・イスラームの侵入によるヨーロッパの変化をおさえる
このあたりが今回のポイントです