イスラームの文明と社会について
イスラームの文明と社会について考えてみます
・イスラームの文明について
・イスラーム帝国は、古くから多くの先進文明が栄えた地域に作られた
→イスラーム文明は、このような文化遺産と征服者であるアラブ人がもたらした
イスラーム教とアラビア語とが融合して生まれた新しい都市文明だった
=バグダードやカイロなど大都市に発達したこの融合文明は、
同時にイスラーム教を核とする普遍的文明だった
※そのため、この融合文明はイスラーム世界のいたるところで受け入れられていった
→そして、各地の地域的・民族的特色を加えていくことで、
イラン=イスラーム文化、トルコ=イスラーム文化、インド=イスラーム文化などが
形成された
・中世ヨーロッパは、当時はイスラーム教に敵対していた
→しかし、11~13世紀にかけてスペインのトレドを中心にアラビア語の著作を
どんどんラテン語に翻訳して、アラビア語の著作を学び取ることによって、
後でルネサンスを開花させた
※イスラーム文明は、ギリシア文明をヨーロッパ文明に橋渡しする上でも
重要な役割を果たした
・イスラームの社会について
・西アジアのイスラーム社会は、都市を中心に発展していった
・各地の都市には、軍人、商人、職人、知識人などが住んでいた
※法学や神学などのイスラームの様々な学問をおさめた知識人を、ウラマーという
・信仰と学問や教育の場であるモスクや学院(マドラサ)、生産と流通の場である市場を
中心に都市生活が営まれた
・イスラーム帝国の成立によって、都市を結ぶ交通路が整備された
→このネットワークを通して新しい知識や生産技術が短期間のうちに
遠くへ伝えられたことが特徴として挙げられる
※特に、パピルスや羊皮紙に代わる紙が普及したことは、
イスラーム文明の発展に大きな影響を与えた
※紙の普及について
・タラス河畔の戦いによって、唐軍の捕虜からイスラーム教徒が
製紙法を学ぶということがおきた
→そこで、イスラーム教徒はサマルカンド、バクダード、カイロなどに製紙工場を作った
→そして、この技術はイベリア半島とシチリア島を通って、
13世紀ころにヨーロッパに伝えられた
・10世紀以降のイスラーム社会では、都市の職人や農民の間に、形式的な信仰を排除して、
神との一体感を求める神秘主義(スーフィズム)という考え方が盛んになった
※このような神秘主義の人を、スーフィーという
・12世紀になると、聖者を中心に多くの神秘主義教団が結成されるようになった
→教団員はムスリム商人の後を追うようにして、アフリカ、中国、インド、東南アジアに
進出していった
=教団員は、各地の習慣などを取り入れていきながら、イスラームの信仰を広めていった
→イスラーム文明の担い手は、都市の商人、職人、知識人、神秘主義者たちだった
※カリフやスルタンをはじめとする支配者たちが文化活動を積極的に保護したことも、
イスラーム文明の発達を促す要因の一つだった
ポイント
・イスラームの文明についておさえる
・イスラームの社会についておさえる
このあたりが今回のポイントです