ビザンツ帝国について① -ビザンツ帝国の歴史-
ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます
・ビザンツ帝国の歴史について
・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、
東ヨーロッパではビザンツ帝国(東ローマ帝国)がギリシア正教と
ギリシア古典文化を融合した独自の文化的世界を作った
→ビザンツ帝国は、西ヨーロッパに対して経済的かつ文化的な
先進文明圏として優位を保った
・ビザンツ帝国は、西ヨーロッパとは違い、ゲルマン人の大移動による
深刻な打撃を受けなかった
→そのため、商業と貨幣経済は繁栄し続けた
※首都のコンスタンティノープル(旧名ビザンティウム)は、
ヨーロッパ世界最大の貿易都市として、中世の間栄えていた
・政治面では、ローマ帝政末期以来の巨大な官僚制による皇帝専制支配が維持されていた
※西ヨーロッパでは、皇帝と教皇という2つの権力が並んでいたが、
ビザンツ皇帝は、地上でのキリスト教の代理人として、
ギリシア正教会を支配する立場にあった
=そのため、ビザンツ皇帝は政治と宗教の両面で最高の権力者だった
・西ローマ帝国が滅亡してからしばらくは、西方のゲルマンの様々な国家も、
ローマ帝国唯一の後継者であるビザンツ皇帝の権威を認めて服従していた
→特に、ユスティニアス大帝は地中海帝国の復興を目指し、
北アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国を滅ぼして、
一時的に地中海のほぼ全域にローマ帝国を復活させた
・内政については、「ローマ法大全」の編纂や、ハギア(セント)=ソフィア聖堂の
建立などの事業に力を注ぎ、中国から養蚕技術を取り入れて、
絹織物産業の発展の基礎を築いていった
・一方で、長期間の征服戦争によって国力は低下していってしまった
→そのため、ユスティニアヌス大帝が死んだ後に、
イタリアがランゴバルド王国やフランク王国に奪われてしまった
→また、7世紀にササン朝が、その後にアラブ人ムスリムが進出してきたことによって、
シリア・エジプトが奪われた
→さらに、スラヴ人が大量にバルカン半島に移住した
→そして、北方でトルコ系のブルガール人がブルガリア帝国を作った
=このように、ビザンツ帝国は段々と支配権を小さくしていった
→10世紀から11世紀前半は、異民族を撃退して一時的に勢力を回復した
→しかし、11世紀の後半に東方からセルジューク朝の侵入を受けた
→そして、13世紀の前半に第4回十字軍が首都を奪ってラテン帝国という帝国を作った
=このように、国内はどんどん混乱していった
→その後、一度ビザンツ帝国が復活した
※しかし、昔のような勢いが戻ることはなかった
=そのため、結果的に1453年にオスマン帝国に滅ぼされてしまった
ポイント
・ビザンツ帝国の歴史についておさえる
このあたりが今回のポイントです