百年戦争とバラ戦争について
百年戦争とバラ戦争について考えてみます
・百年戦争について
※百年戦争までの流れについて
・フランスの国王は、毛織物山地として重要とされていたフランドル地方を
直接支配下に置こうとした
→一方で、イギリスの国王がフランドル地方に羊毛を輸出して利益を上げていた
=そこでイギリス国王は、フランスがフランドル地方に
勢力を伸ばすのを阻止しようとした
・その後、カペー朝が断絶してヴァロワ朝という王朝が作られた
→すると、当時のイギリスの国王だったエドワード3世という人は、
母がカペー家の出身であったことから、フランス王位の継承権を主張した
※この動きをきっかけに、イギリスとフランスとの間で戦争が始まった
=この戦争を、百年戦争という
※百年戦争の内容について
・最初は、イギリス軍が長弓兵を使ってクレシーの戦いでフランス騎士郡を破るなど、
イギリス軍が優勢な状況だった
※さらに、エドワード黒太子という人の活躍によってフランス南西部を奪った
・フランス国内は、黒死病の流行やジャックリーの乱による混乱などがあった
→そのため、シャルル7世という人の時には、フランスの王国は崩壊寸前の危機だった
・その後、国を救えとの神の信託を信じた、
農民の娘であるジャンヌ=ダルクという人が出てきた
※ジャンヌ=ダルクは、フランス軍を引き連れてオルレアンの包囲を破り、
イギリス軍に勝利までした
→この動きによってフランス軍は息を吹き返した
=結果的に、カレーをのぞく全ての国土からイギリス軍を追い出し、
フランスの勝利で戦争が終わった
※ジャンヌ=ダルクについて
・ジャンヌ=ダルクは、イギリスの捕虜になった
・ジャンヌ=ダルクは、宗教裁判で異端とされ、1431年に火刑になった
※百年戦争後のフランスとイギリスについて
・フランスでは、百年戦争の影響によって、諸侯と騎士が没落した
→その後シャルル7世は、大商人と手を組んで財政を立て直し、常備軍を設置した
=結果的に、中央集権化が一層進んだ
・イギリスでは、百年戦争後にランカスター家とヨーク家との間で、
王位継承のための内乱が起きた
=この内乱をバラ戦争という
・バラ戦争について
※なぜバラ戦争と呼ばれるのか・・両方の派閥の記章がそれぞれ赤バラと白バラだったという
後世の想像があったから
・バラ戦争でイギリスの諸侯や騎士は両方の派閥に分かれて戦った
→しかし、その結果諸侯や騎士は没落することになった
=結局、内乱をおさめたランカスター派のヘンリ7世という人が1485年に即位し、
テューダー朝を作った
・ヘンリ7世は、星室庁裁判所というところを作って、王権に反抗する人を処罰した
→この動きをきっかけに、絶対王政の道が始まったと言われている
※星室庁裁判所・・裁判がウェストミンスター宮殿の「星の間」で
行われたから名前が付けられた
・一方で、ケルト人の国であるウェールズは13世紀にイギリスに併合された
・しかし、同じくケルト系のアイルランドとスコットランドは独立を保った
ポイント
・百年戦争までの流れ、内容、その後の様子についておさえる
・バラ戦争の内容についておさえる
このあたりが今回のポイントです