封建社会の誕生について
封建社会の誕生について考えてみます
・封建社会の誕生について
※封建社会とは・・封建的主従関係と荘園という2つの仕組みを土台として成り立つ社会のこと
※封建社会誕生までの流れ
・民族大移動の後の長い混乱期の間に、西ヨーロッパの商業と都市が衰えていき、
以下のようなことが起きた
→・社会が自給自足を中心とした農業経済に変わっていった
・貨幣ではなく、土地や現物が価値を持つようになった
・度重なる外敵からの侵入が増え、外敵からの生命や財産を守るために、
弱者が身近な強者に保護を求めた
=この動きの中で、封建的主従関係と荘園の制度が生まれてきた
※封建的主従関係とは
・当時、皇帝、国王、諸侯(大貴族)、騎士(小貴族)、聖職者などの有力者たちは、
自分の安全を守るためにお互いに政治的な結びつきを強めるようになっていった
→そこで、主君が家臣に封土(領地)を与えて保護をする代わりに、
家臣は主君に忠誠を誓って軍事的奉仕の義務を負うというような、
人と人との結びつきが生まれていった
=この結びつきの関係を封建的主従関係という
→封建的主従関係は、主君と家臣の個別の契約によって結ばれていたが、
次第に世襲化していった
→西ヨーロッパの封建的主従関係は、双務的契約(主君と家臣の両方に契約を守る
義務があること)が特徴だった
※もし、主君が契約を違反した場合は、家臣には服従を拒否する権利もあった
※また、一人で複数の主君を持つことも出来た
・封建的主従関係は、ローマの恩貸地制度とゲルマンの従士制に起源があり、
地域防衛の仕組みとして特にフランク王国の分裂以後、本格的に出現してきた
※・恩貸地制度・・土地の所有者が自分の土地を有力者に献上して有力者に
保護してもらう体制にした後、改めて有力者から
土地を恩貸地として貸してもらう制度のこと
・従士制・・貴族や自由民の子弟が、他の有力者に忠誠を誓って従者になる慣習のこと
→一般的に、恩貸地制度と従士制にもとづく支配体制は地方分権的だった
※中でも、多くの騎士を家臣として従えた大諸侯は国王に並ぶ権力を持って自立した
=そのため、国王は実質的に大諸侯の一人と同じような感じだった
・封建的主従関係を持つ有力者たちは、それぞれ大小の領地を所有し、
農民を支配する領主でもあった
=領主のそれぞれの所有地を荘園という
※荘園について
・荘園は、村落を中心に領主直営地、農民保有地、共同利用地から成り立つ
・農民は、農奴と呼ばれる不自由身分で、移動の自由がなく、
結婚や相続の自由も制限された
・農民は、賦役と貢納を領主に負った
※・賦役・・領主直営地で労働する義務のこと
・貢納・・自分の保有地から生産物をおさめる義務のこと
※荘園には手工業者も住み、自給自足的な現物給付が支配的だった
※農奴とは
・農奴とは、ローマ帝政末期のコロヌスや、没落したゲルマンの自由農民の子孫で、
長い混乱期に身分の自由を失って、領主に保護を求めるようになった人々を指す
※領主の権利
・不輸不入権(国王の役人が荘園に入ったり課税したりするのを拒む権利)を持っていた
・農民を領主裁判権によって裁いていた
=領主は、荘園と農民を自由に支配することが出来ていた
=以上のことから封建社会は、荘園を経済的な基盤として、
その上に封建的な主従関係による階層構造を持つ
社会であったということが言える
※封建社会は、10~11世紀に成立して、中世西ヨーロッパの基本的な枠組みになった
※ただし、封建社会では王権が貧弱で統一的権力になれなかったという特徴もある
ポイント
・封建社会の仕組みについておさえる
このあたりが今回のポイントです