中世ヨーロッパの国々について① -ドイツ・スイス-
中世の時のヨーロッパの国々ついて、ドイツとスイスを中心に考えてみます
・ドイツについて
・ドイツは、政治的な分裂と不統一が深まっていった
※ドイツは、神聖ローマ帝国ともいう
・ドイツは、大諸侯の力が強く、自由都市も大諸侯と並ぶ独立勢力となった
→一方で、歴代の皇帝はイタリア政策を追求して国内を留守にしがちだったため、
帝国の統一は不安定だった
・その後、シュタウフェン朝が断絶するということが起きた
※政治的混乱は、事実上皇帝不在の「大空位時代」という時代の時に、頂点に達した
→その後も皇帝の権力は奮わず、皇帝のカール4世という人は
1356年に「金印勅書」を発布した
=「金印勅書」の発布によって、ドイツ皇帝選挙の手続きが定められ、
皇帝選出権を聖俗の七選帝候に認めた
・14世紀以降のドイツでは、帝国ではなく、それぞれの領邦(大諸侯の領地)で
集権化が進められた
→そして、それぞれの領邦は地方主権を伸ばしていった
※有力な領邦は、自ら身分議会制を開いて、独自に絶対王政への道を進んでいった
・15世紀前半から、皇帝はハプスブルク家から出されるようになった
※ハプスブルク家は、帝国の統一を目指したが、失敗に終わった
→結果的に、国内には大小の諸侯や自由都市など、あわせて300ほどの領邦が
分立するようになった
※そのため、統一はますます難しくなったと言える
・一方で、かつてスラヴ人やマジャール人が住んでいたエルベ川以東の場所では、
12世紀から14世紀にかけて大規模な植民が行なわれた
※この植民を、東方植民という
→そして、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領などの諸侯国が作られた
→エルベ川以東の地方では、15世紀以降にイギリス、フランス、西南ドイツなどの
地域とは違い、以下のような動きが見られた
・領主が農奴への身分的束縛を強めた
・直営地を広げて大農場を経営した
・西ヨーロッパ向けの穀物生産を大規模に行うようになった
・スイスについて
・スイス地方の農民は、13世紀の終わりにハプスブルク家の支配に反抗して
独立闘争を始めた
=この動きは、今日のスイス連邦の母体を作ったと言われている
→その後、スイスは何度かの戦いに勝利した
=そして、1499年にスイスは神聖ローマ帝国から事実上独立した
※独立は、1648年のウェストファリア条約という条約で国際的に承認された
ポイント
・中世の時のドイツについておさえる
・中世の時のスイスについておさえる
このあたりが今回のポイントです