スラヴ人と周辺民族の動きについて② -南スラヴ人・西スラヴ人・スラヴ人の周辺の様子-
コメント数: 0 お気に入り登録数:0
スラヴ人と周辺民族の動きについて、南スラヴ人、西スラヴ人、スラヴ人の周辺の様子について
考えてみます
・南スラヴ人について
・南スラヴ人・・バルカン半島に南下した民族のこと
・南スラヴ人の中で最大の勢力であるセルビア人は、最初はビザンツ帝国に従って
ギリシア正教に改宗した
→そして、12世紀に独立し、14世紀の前半にバルカン半島北部を
支配する国になっていった
・南スラヴ人のクロアティア人やスロヴェニア人は、西方のフランク王国の影響で
ローマ=カトリックを受け入れた
・南スラヴ人の大半は、14世紀以降にオスマン帝国の支配下に置かれるようになっていった
・西スラヴ人について
・西スラヴ人・・ポーランド人、チェック人、スロヴァキア人などを指す
・西スラヴ人は、西ヨーロッパの影響を受けて、ローマ=カトリックに改宗し、
西方ラテン文化圏に入った
・中でもポーランド人は、10世紀ころに建国し、14世紀の前半には
カジミェシュ(カシミール)大王のもとで繁栄していった
・ポーランド人の北側にいたバルト語系のリトアニア人は、ドイツ騎士団に対抗するために
14世紀にポーランドと合体して
ヤゲウォ(ヤゲロー)朝リトアニア=ポーランド王国を作った
※ヤゲウォ朝は、15世紀に最も強くなった
・チェック人は、10世紀にベーメン(ボヘミア)王国を統一した
※しかし、ドイツとの関係が密接で、11世紀には神聖ローマ帝国に編入された
・スラヴ人の周辺民族の交流について
・スラヴの様々な民族と関係を持ちながら、東ヨーロッパの非スラヴ系の様々な民族も
自立の道を進んだ
・ブルガール人という人達は、7世紀にバルカン半島北部に第1次ブルガリア帝国を建国した
→その後、スラヴ化してギリシア正教に改宗した
→そして、ビザンツ帝国に合併され、12世紀に第2次ブルガリア帝国として再び独立した
=結果的に14世紀にオスマン帝国に併合された
・マジャール人という人達は、黒海北岸からドナウ川中流のパンノニア平原に移動した
→そして、10世紀の末にハンガリー王国を作って、ローマ=カトリックを受け入れた
※ハンガリー王国は、15世紀に最も繁栄した
=しかし、結果的に16世紀にオスマン帝国の支配下に入った
ポイント
・スラヴ人の概要についておさえる
・それぞれの地方のスラヴ人についておさえる
・スラヴ人の周辺民族の交流についておさえる
このあたりが今回のポイントです