スラヴ人と周辺民族の動きについて① -スラヴ人の概要と東スラヴ人-
スラヴ人と周辺民族の動きについて、スラヴ人の概要と東スラヴ人を考えてみます
・スラヴ人と周辺民族の動きについて
※スラヴ人とは・・カルパティア山脈の北方を原住地とする民族のこと
・スラヴ人は、6世紀になると移動するまえに、
ゲルマン人が住んでいたビザンツ帝国北側の広い地域に急速に拡大した
→それぞれの地方のスラヴ人は、以下のように周辺の影響を受けつつ、
自立と建国を目指していった
・東スラヴと南スラヴ・・ビザンツ文化とギリシア正教の影響を受ける
・西スラヴ・・西欧文化とローマ=カトリックの影響を受ける
・それぞれの地方のスラヴについて
・東スラヴ人について
※東スラヴ人・・ロシアのドニエプル川中流域に展開した民族のこと
・東スラヴ人は、9世紀にスウェーデン系ノルマン人がノヴゴロド国を、
その後にキエフ公国を作った
→そして、先住民に同化してスラヴ化していった
・10世紀の終わりころに、ウラディミル1世という人が周辺の民族と戦って、領土を広げた
※この時に、キエフ公国が最盛期だった
・ウラディミル1世はギリシア正教に改宗し、ビザンツのような専制君主制をまねた
※そのため、この動き以降のロシアは西欧とは別の文化圏に入ることになった
・その後、農民の農奴化と貴族の大土地所有が進んだ
※ただし、その後は大土地所有者である諸侯が様々に分立したため、国内は分裂した
・13世紀にバトゥが連れているモンゴル人が南ロシアに侵入するということが起きた
→すると、モンゴル人は南ロシアにキプチャク=ハン国を作った
→その後、キエフ公以下の諸侯は、キプチャク=ハン国に屈服した
=結果的に240年の間、モンゴル支配に従うことになった
※この出来事を、タタールのくびきという
・15世紀になると商業都市のモスクワを中心としてモスクワ大公国が急激に勢力を伸ばした
※大公イヴァン3世の時に東北ロシアを統一した
=結果的に1480年にモンゴルの支配から脱出した
・イヴァン3世は以下のようなことを行った
→・諸侯の力をおさえて権力を握った
・ビザンツ帝国の最後の皇帝の姪であるソフィアという人と結婚して
ローマ帝国の後継者を自任した
・初めてツァーリ(皇帝)という称号を用いた
・農奴を土地に縛り付けて農奴制を強化した
・イヴァン3世の孫のイヴァン4世の中央集権化のための道を作った
ポイント
・スラヴ人の概要をおさえる
・東スラヴ人についておさえる
このあたりが今回のポイントです