ビザンツ帝国について② -ビザンツ帝国の社会-
ビザンツ帝国の社会について考えてみます
・ビザンツ帝国の社会について
・初期のビザンツ帝国は、コロヌスを使った大土地所有制度が中心だった
→しかし、7世紀以降に異民族の侵入への対処のために軍管区制(テマ制)が採用されて、
中央集権化が進んだ
※軍管区制・・帝国をいくつかの軍管区に分けて、その司令官に軍事と行政の権限を与える
という制度のこと
※軍管区では、屯田兵制(農民に土地を与える代わりに兵役義務を課す制度)が行なわれた
→そのため、小土地所有の自由農民が増え、自由農民が帝国を支える基盤になった
→軍管区制は10世紀に完成したが、その後に再び貴族が農奴を使って
経営するという大土地所有制が拡大した
→そして、11世紀末以降から、皇帝は中央集権を維持するために、
仕方なくプロノイア制を採用した
※プロノイア制・・軍役の奉仕と引き換えに貴族に領地を与える制度のこと
・ビザンツ帝国の文化には、以下のような特徴がある
→・ギリシア古典文化の遺産とギリシア正教の融合だった
・西欧のラテン的、ローマ=カトリック的文化とは明らかに違う独自性を持っていた
→公用語は7世紀以降からギリシア語が採用された
※ギリシア語で、ギリシアの古典が盛んに研究されて受け継がれていった
→学問の中心はキリスト教神学で、聖像崇拝論争などが行なわれていた
→美術の面では、ビザンツ様式の教会建築が有名
※ビザンツ様式・・ドームとモザイク壁画が特徴の様式のこと
※代表的なものに、ハギア=ソフィア聖堂やサン=ヴィダーレ聖堂などがある
※その他の美術では、聖母子像などをえがいたイコン美術などが
ビザンツ帝国で特徴的な美術とされている
=世界史の視点から考えた時に、ビザンツ帝国の文化は以下のような視点で
重要だと言われている
・スラヴ人をビザンツ帝国の文化圏に取り入れた
・古代ギリシアの文化遺産を受けついでイタリア=ルネサンスに影響を与えた
ポイント
・ビザンツ帝国の社会の様子についておさえる
このあたりが今回のポイントです