カール大帝と当時のヨーロッパの様子について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/11 23:14      
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カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます

 

 

・カール大帝について

 

 

 ※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝(シャルルマーニュ)の

  時代にもっとも深まった

 

 

 ・カール大帝は、ランゴバルド王国を征服して北東のザクセン人を服従させた

  →その結果、大陸における多くのゲルマン部族が統合され、

   ローマ=カトリックに改宗させられた

 

 ・カール大帝は、東ではモンゴルのアヴァール人を、南ではイスラーム教徒を撃退した

  →そして、西ヨーロッパの主要な部分はフランク王国によって統一された

 

 ・カールは、広大な領土をまとめて支配するために、以下のようなことを行った

  →・全国を州に分けた

   ・地方の有力な豪族を各州の長官である伯に任命した

   ・巡察使を派遣して伯を監督させた

 

  =以上のような流れを受けて、フランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強大な国になった

 

 

 

 

 ・一方で、ローマ教会はビザンツ皇帝に匹敵する政治的保護者がカールだと考えた

 

 ・800年のクリスマスの日に、教皇のレオ3世はカールにローマ教皇の帝冠を与えて、

  「西ローマ帝国」の復活を宣言した

  →カールの戴冠は、西ヨーロッパ世界が政治的、文化的、宗教的に独立したという

   重要な歴史的意義がある

   =そして、ローマ以来の古典古代文化、キリスト教、ゲルマン人が融合した

    西ヨーロッパ中世世界が誕生した

 

 

 ・その後、ローマ教会はビザンツ皇帝への従属から独立した

  →そして11世紀にキリスト教世界は、以下の2つに完全に分裂してしまった

   ・教皇を首長とするローマ=カトリック教会

   ・ビザンツ皇帝を首長とするギリシア正教会

 

  =以上のように、ローマ帝国以来存続してきた地中海世界は、

   西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界の3つに分かれ、

   以後それぞれ独自の歴史を歩むようになっていった

 

 

ポイント

・カール大帝を中心としたヨーロッパの動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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