カール大帝と当時のヨーロッパの様子について
カール大帝とフランク帝国の分裂について考えてみます
・カール大帝について
※ローマ教会とフランク王国との関係は、ピピンの子どものカール大帝(シャルルマーニュ)の
時代にもっとも深まった
・カール大帝は、ランゴバルド王国を征服して北東のザクセン人を服従させた
→その結果、大陸における多くのゲルマン部族が統合され、
ローマ=カトリックに改宗させられた
・カール大帝は、東ではモンゴルのアヴァール人を、南ではイスラーム教徒を撃退した
→そして、西ヨーロッパの主要な部分はフランク王国によって統一された
・カールは、広大な領土をまとめて支配するために、以下のようなことを行った
→・全国を州に分けた
・地方の有力な豪族を各州の長官である伯に任命した
・巡察使を派遣して伯を監督させた
=以上のような流れを受けて、フランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強大な国になった
・一方で、ローマ教会はビザンツ皇帝に匹敵する政治的保護者がカールだと考えた
・800年のクリスマスの日に、教皇のレオ3世はカールにローマ教皇の帝冠を与えて、
「西ローマ帝国」の復活を宣言した
→カールの戴冠は、西ヨーロッパ世界が政治的、文化的、宗教的に独立したという
重要な歴史的意義がある
=そして、ローマ以来の古典古代文化、キリスト教、ゲルマン人が融合した
西ヨーロッパ中世世界が誕生した
・その後、ローマ教会はビザンツ皇帝への従属から独立した
→そして11世紀にキリスト教世界は、以下の2つに完全に分裂してしまった
・教皇を首長とするローマ=カトリック教会
・ビザンツ皇帝を首長とするギリシア正教会
=以上のように、ローマ帝国以来存続してきた地中海世界は、
西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界の3つに分かれ、
以後それぞれ独自の歴史を歩むようになっていった
ポイント
・カール大帝を中心としたヨーロッパの動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです