ゲルマン人の大移動について
ゲルマン人の大移動について考えてみます
・ゲルマン人の大移動について
・アルプスより北側の地域には、紀元前6世紀ころからケルト人という人達が住んでいた
→一方で、バルト海沿岸を原住地とするゲルマン人という人達が、
ケルト人を西に追いやりながら勢力を広げていった
=結果的にゲルマン人は、紀元前後ころにライン川から黒海沿岸にいたるまでの
広い地域に拡大していった
※この時に、ローマ帝国と境界が接するまでになった
※紀元前後のゲルマン人の社会については、以下のような資料が重要だと言われている
・カエサルという人の「ガリア戦記」
・タキトゥスという人の「ゲルマニア」 など
・当時のゲルマン人には、以下のような特徴があった
→・数十の部族に分かれていて、それぞれの部族に1人の王や数人の首長を持っていた
・貴族、平民、奴隷の身分差がすでに発生していた
※ただし、重要な決定は貴族と平民で構成される成年男性自由人の全体の集会である
民会が行なった
・農業が主な生活の手段となり、人口が増えてくると同時に耕地が不足した
※この耕地不足が民族移動の内的な原因になったと言われている
→以上のような特徴があったため、ローマ帝政後期になるとゲルマン人は
ドナウ川流域にまで広がった
→さらに、ローマの下級官吏、傭兵、コロヌスとして、平和的に帝国内に
移住する人も多くなってきた
=同時に、ゲルマン人の社会では小部族が軍事的指導者である王のもとに
まとめられて大部族に成長していった
・4世紀の後半に、アジア系のフン人がドン川という川をこえて西に進むということが起きた
→その後、フン人がゲルマン人の一派である東ゴート人の大半を征服し、
西ゴート人も圧迫した
→そこで、西ゴート人は375年に南へ移動を始め、
次の年にドナウ川を渡ってローマ帝国領内に移住した
※この動きをきっかけに、他のゲルマンの様々な部族も
大規模な移動を開始するようになった
=この流れの結果、約200年におよぶゲルマン人の大移動が始まった
・西ゴート人は410年にローマを略奪した
→その後、ガリア西南部とイベリア半島に移動して建国をした
・他の民族については、以下のような動きを見せた
→・ヴァンダル人は北アフリカに建国した
・ブルグンド人はガリア東南部に建国した
・フランク人はガリア北部に建国した
・アングロ=サクソン人は大ブリテン島に渡った
※アングロ=サクソン人は9世紀までの間に
アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)を作った
・一方でフン人は、5世紀前半にアッティラ王という人がパンノニア(現在のハンガリー)を
中心に大帝国を作った
→しかし、451年にカタラウヌムの戦いでフン人が西ローマとゲルマンの連合軍に負ける
ということが起きた
=そのため、アッティラの死後に大帝国が崩壊してしまった
→上のような混乱の中で、476年に西ローマ帝国がゲルマン人傭兵隊長の
オドケアルという人に滅ぼされた
・東ゴート人は、テオドリック大王という人のもとでフン人の支配から脱出した
→その後、東ゴート人はイタリア半島に移動してオドケアルの王国を倒し、
イタリア半島に建国した
=そして、568年に北イタリアにランゴバルド王国が作られたのを最後に、
民族大移動の波は一度終了した
※先住民のケルト人は、現在のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、
ブルターニュ半島に追いやられたが、その後も独自の文化を保ち続けていった
→ゲルマンの様々な民族の国家の多くが短命だったのに対して、その後着実に領土を広げ、
最有力国として西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たしたのは、
フランク王国というところだった
ポイント
・ゲルマン人の大移動とその内容、動きなどについておさえる
このあたりが今回のポイントです