封建社会の時の教会について
封建社会の時の教会について考えてみます
・封建社会の時の教会について
・当時のローマ=カトリック教会は、西ヨーロッパ全体に普遍的に権威を及ぼしていった
・ローマ=カトリック教会には、教皇を頂点として、大司教、司教、司祭、修道院長など、
聖職者の序列を定めたピラミッド型の階層制組織が作られていた
※大司教や修道院長国王や貴族から荘園を渡されて大領主になった
・教会は、農民から十分の一税を取り立て、教会法にもとづく独自の裁判権を持っていた
・位の高い聖職者が諸侯と並ぶ支配階級になると、皇帝や国王などの世俗権力が、
何度か本来聖職者ではない人物(俗人)を聖職者の地位に任命し、
教会に介入するようになっていった
※以上のような、世俗権力の影響を受けた教会では、聖職売買など様々な弊害が生じていた
・一方で、10世紀以降に、フランス中東部のクリュニー修道院というところを中心に、
改革の運動が起こった
→教皇のグレゴリウス7世という人は、この改革を推し進めるために、以下のようなことを行った
・聖職売買や聖職者の妻帯を禁止した
・聖職叙任権(聖職者を任命する権利)を世俗権力から教会の手に取り戻して、
教皇権を強化しようとした
→上のような動きに対して、皇帝のハインリヒ4世という人は反発した
=そのため、教皇のグレゴリウス7世と皇帝のハインリヒ4世との間で、
叙任権闘争というのが始まった
※叙任権闘争について
・皇帝(ハインリヒ4世)は、教皇(グレゴリウス7世)の改革を無視しようとした
→そのため、教皇は皇帝を破門(信者を教会から追放すること)にした
・その裏で、ドイツの諸侯は破門の解除が無ければ皇帝を廃位にすると決議された
→そのため、1077年に皇帝はイタリアのカノッサというところで教皇に謝罪して、
許してもらった
=この出来事を、カノッサの屈辱という
→その後、1122年のヴォルムス協約というので、教皇と皇帝の間での妥協が成立した
=結果的に、皇帝はドイツ以外での聖職叙任権を事実上、放棄した
→以上のような流れを受けて、教会の指導権が確立していった
※教皇権が絶頂になったのは、13世紀のインノケンティウス3世の時だった
ポイント
・教会の仕組みと対立についておさえる
このあたりが今回のポイントです