バグダードからカイロへの流れについて
バグダードからカイロへの動きについて考えてみます
・バグダードからカイロへの動きと流れについて
・クルド人のサラディン(サラーフ=アッディーン)という人が以下のようなことを行った
→・エジプトにアイユーブ朝という王朝を作った
・サラディンは、ファーティマ朝を倒してスンナ派の信仰を回復した
・1187年に十字軍を破って、聖地のイェルサレムを奪い返した
・一方で、第3回十字軍は聖地の征服を再び目指したが、成功しなかった
→そこで、十字軍はサラディンと和解して帰国した
・アイユーブ朝のスルタンも、トルコ人の奴隷を買ってマムルーク軍団を作ったが、
段々とその勢いが活発になった
→その後、スルタンが1250年にアイユーブ朝を倒して
エジプト・シリアにマムルーク朝という王朝を作った
※第5代スルタンだったバイバルスという人は以下のようなことを行った
・シリアに侵入したモンゴル軍を撃退した
・アッバース朝のカリフをカイロに復活させた
・メッカ・メディナの両方の聖都を保護した
=これらの内容を行うことで、イスラーム国家としてのマムルーク朝の権威を高めていった
・アイユーブ朝からマムルーク朝中期へかけてのエジプトでは、以下のようなことが起きていた
→・ナイル川が順調に増水していた
・安定した政治が行なわれていた
=この2つによって、小麦や大豆などの主要作物の生産が増え、
商品作物としてのサトウキビ栽培が普及した
→その他にも、以下のような動きが見られた
・歴代のスルタンは、国家が統制する中で、地中海・インド洋貿易の利潤を独占していた
・首都のカイロは、バグダードのかわりに、
イスラーム世界の政治、経済、文化の中心地として繁栄した
※ファーティマ朝時代に建設されたアズハル学院が、この時代にスンナ派イスラーム教の信仰と
学問活動の分野で中心的な役割を果たすようになっていった
ポイント
・バグダードからカイロへの流れと動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです