東方イスラーム世界の動きについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/11 00:55      
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東方イスラーム世界の動きについて考えてみます

 

 

・東方イスラーム世界の動きについて

 

 

 ・アッバース朝のカリフは、9世紀の初めころからマムルークと呼ばれる

  トルコ人奴隷を親衛隊として使うようになった

  ※遊牧民だったトルコ人は騎馬戦士として優れていた

  ※親衛隊として使ってた時、マムルーク勢力が拡大するにつれて、

   カリフの権力が低下していくことになった

   →しかし、他の地域からマムルークを買って軍事力の中心とする動きが、

    イスラーム世界で一般的になった

 

 

 

 

 ・セルジューク朝について

 

  ・トルコ人のセルジューク朝という王朝が中央アジアから西方に進出していった

   ※セルジューク朝もマムルークを使った

 

  ・セルジューク朝はトゥグリル=ベクという人が作った

   →トゥグリル=ベクは、1055年にブワイフ朝を倒してバグダードに入城した

    ※この時に、アッバース朝のカリフからスルタン(支配者)の称号を授けられた

 

  ・セルジューク朝はスンナ派を信仰していたため、シーア派を信仰していた

   ファーティマ朝に対抗する形で、セルジューク朝の土地内部の主要な都市に

   学院(マドラサ)を作った

   =学院を作ることで、スンナ派の神学と法学を奨励して学問の育成を行った

    ※これらの学院は、建設の指導を行ったニザーム=アルムルクという人にちなんで、

     ニザーミーヤ学院と呼ばれた

 

  ・セルジューク朝は、シリアの海岸地帯にも進出していき、ビザンツ領を圧迫していった

   ※この動きは、後にヨーロッパのキリスト教団が十字軍を誕生させるきっかけになった

 

 

   

   

 ・カラ=ハン朝とガズナ朝について

 

  ・トルコ人のカラ=ハン朝は、東と西のトルキスタンを組み合わせて、

   この地方にイスラーム文化を導入した

  

  ・アフガニスタンのガズナ朝は10世紀の終わりから北インドへの侵入を始めた

 

   =イスラーム世界は分裂していたにも関わらず、上のようなトルコ人の活躍があったために、

    イスラーム世界が着実に拡大していったと言われている

 

 

 

 

 ・上のような動きの後、モンゴルの勢力が発展していった

  →フラグという人が連れていたモンゴル軍は、西アジアに進出して、

   1258年にバグダードを陥れた

   =その結果、アッバース朝は滅亡し、カリフの制度が一度消滅した

 

 ・フラグは、イランとイラクを領有してイル=ハン国という国を作った

  →イル=ハン国はエジプトのマムルーク朝と敵対した

   =結果的にカザン=ハンという人の時にイル=ハン国はイスラーム教を国教に定めた

 

 ・カザン=ハンは、地租を中心とするイスラーム式の税制を導入した

  →この税制の導入によって、農村の復興を目指した

  →一方で、イスラーム文化の保護も目指した

   =そのため、モンゴル人の支配のもとにイラン=イスラーム文化が成長していった

 

 

ポイント

・東方のイスラーム世界の概況をおさえる

・セルジューク朝についておさえる

・カラ=ハン朝とガズナ朝についておさえる

・モンゴル勢力の発達の様子とイル=ハン国についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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