フランス第二帝政と第三共和政について
フランス第二帝政と第三共和政について考えてみます
・フランス第二帝政と第三共和政について
・フランス第二帝政には、以下のような特徴があった
→・農民、資本家、労働者など、利害が一致しない勢力に支えられたものだった
・第二帝政のトップだったナポレオン3世は、国内産業を育成した
・一方で、国民の人気を維持するために、クリミア戦争、アロー戦争、イタリア統一戦争、
インドシナ出兵などの積極的な対外政策を行っていった
・フランス人のレセップスという人の提案によるスエズ運河の建設に、
フランスが積極的だった
・国威を高める万国博覧会に積極的だった
※そのため、1855年と1867年には、パリで万博が開催された
・また、ナポレオン3世が、メキシコ遠征に失敗して、プロイセン=フランス(普仏)戦争に
負けるということが起きた
→すると、パリで蜂起が起こった
=その結果、1870年の9月に帝政が崩壊した
・普仏戦争で抵抗を続けたパリの臨時政府が、1871年の1月にドイツ軍に
降伏するということが起きた
→しかし、社会主義者やパリの民衆は屈辱的な講和を認めなかった
=そのため、3月に革命的自治政府というのを作った
※この政府を、パリ=コミューンという
※パリ=コミューンには、以下のような特徴があった
→・労働者などの民衆が中心となって作った世界史上初の自治政府だった
・しかし、パリ=コミューンは共和派のティエールをトップとする
政府によって鎮圧された
・その後は、王党派と共和派の争いが続いた
→すると、1875年になって共和国憲法というのが作られた
※この時に、第三共和国の基礎が作られた
→また、1880年には、7月14日が国民祝祭日に定められるということが起きた
=結果的にフランスは、フランス革命を原点とする国民の統合が進められていった
※共和国憲法の特徴
・議会両院の選挙で選ばれた、任期7年の大統領が名目上で元首になった
・実際は、内閣が行政権を支配していた
・二院制の議会で、普通選挙制の下院の力が強かった
・一方で、内閣の権限は弱かった
ポイント
・フランス第二帝政の内容と影響についておさえる
・第三共和政までの流れについておさえる
このあたりが今回のポイントです