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	<title>アラエス &#187; 大宰府</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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		<title>武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1132</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1132#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:43:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[大宰府]]></category>
		<category><![CDATA[平将門の乱]]></category>
		<category><![CDATA[承平・天慶の乱]]></category>
		<category><![CDATA[押領使]]></category>
		<category><![CDATA[武士団]]></category>
		<category><![CDATA[滝口の武士]]></category>
		<category><![CDATA[藤原純友の乱]]></category>
		<category><![CDATA[追捕使]]></category>
		<category><![CDATA[郎等]]></category>

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		<description><![CDATA[武士について、地方の反乱と源氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・地方の反乱と武士の成長について &#160; 　※９世紀末から１０世紀にかけて、地方の政治が大きく変わったと言われている 　　→そこ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1132">武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>武士について、地方の反乱と源氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・地方の反乱と武士の成長について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※９世紀末から１０世紀にかけて、地方の政治が大きく変わったと言われている</p>
<p>　　→そこで、地方の豪族や有力な農民は、自分達の勢力を維持したり拡大したりするために</p>
<p>　　　武装するようになった</p>
<p>　　　＝そのため、各地で紛争が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→紛争の鎮圧のために、政府から押領使や追捕使に任命された中級・下級貴族が送られた</p>
<p>　　　　※中級・下級貴族の中には、そのまま在庁官人などになって現地に残り、</p>
<p>　　　　　武士（兵）になる人が出てきた　　　</p>
<p>　　　　※押領使や追捕使は、両方とも盗賊の追捕や内乱の鎮圧のために派遣された</p>
<p>　　　　※押領使や追捕使は、最初は臨時に任命されていたが、</p>
<p>　　　　　段々と様々な国に常備されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→武士は、家子やその下の郎党（郎等、郎従）などの従者を引き連れて、</p>
<p>　　互いに闘いを繰り返すようになった</p>
<p>　　※武士の中には、国司に反抗する人が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→武士は、段々とくっついて、連合体を作るようになった</p>
<p>　　※辺境（中央から遠いところ）の地方では、任期が終わってもそのまま任地に残った国司の</p>
<p>　　　子孫などを中心にして、大きな武士の集団（＝武士団）が成長し始めた</p>
<p>　　※中でも、東国（関東地方）では、良い馬が産まれるようになったため、</p>
<p>　　　機動力のある武士団が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東国では、桓武平氏という氏族が住み着くようになった</p>
<p>　　→その中でも、桓武平氏の平将門は下総という場所を中心にして、様々な一族と争い、</p>
<p>　　　国司と対立するようになった</p>
<p>　　　＝そこで、９３９年に平将門が反乱が起こした。この争いのことを平将門の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平将門は常陸、下野、上野の国府を攻め落とし、東国の大半を占領した</p>
<p>　　→そこで、平将門は自分のことを親皇と呼んだ</p>
<p>　　　※しかし、平将門は武士の平貞盛や藤原秀郷という人達によって討伐された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平将門と同じ頃に、元々伊予（現在の愛媛県）の国司だった藤原純友という人が</p>
<p>　　瀬戸内海の海賊を引き連れて反乱を起こした</p>
<p>　　＝この反乱のことを藤原純友の乱と言う</p>
<p>　　　※藤原純友の乱の時に、伊予の国府や太宰府を攻め落としたが、</p>
<p>　　　　結局、清和源氏という氏族の生みの親である源経基などによって討伐された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→平将門と藤原純友の乱は、上のような経緯によって終わったので、東西の反乱が落ち着いた</p>
<p>　　※一方で、朝廷の軍事力の低下が明らかになったので、</p>
<p>　　　地方の武士の組織が強化されるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→平将門と藤原純友の２つの乱は、その当時の年号から、承平・天慶の乱と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０１９年に、九州北部を刀伊が襲った、という出来事が起きた</p>
<p>　　　→その時は、太宰権帥の藤原隆家という人が、九州の武士達を指揮することで、</p>
<p>　　　　刀伊を撃退した</p>
<p>　　　　＝この出来事は、当時の九州にも武士団があったことが示されていると言われている　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝廷や貴族は、地方の武士の実力を知ったので、地方の武士を侍として、</p>
<p>　　朝廷や貴族に奉仕させるようにした</p>
<p>　　→具体的には・・</p>
<p>　　　・９世紀末に滝口の武士（宮中の警備をする武士）として起用した</p>
<p>　　　・貴族の身の回りや、都の警護にあたらせた</p>
<p>　　　・地方で、押領使や追捕使に任命して、治安維持にあたらせた</p>
<p>　　　・地方で、武士を舘侍や国侍として国司の下で組織させた</p>
<p>　　　　　※・舘侍・・受領の家子や郎党などのような、受領の直接の指揮下にある武士のこと</p>
<p>　　　　　　・国侍・・国衙の軍事力とした地方の武士のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・武士について、地方の反乱と武士の成長過程についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1132">武士について①　－地方の反乱と武士の成長について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>平安時代初期の地方や貴族の変化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1125</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1125#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 15:40:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[偽籍]]></category>
		<category><![CDATA[公出挙]]></category>
		<category><![CDATA[公営田]]></category>
		<category><![CDATA[勅旨田]]></category>
		<category><![CDATA[大宰府]]></category>
		<category><![CDATA[官田]]></category>
		<category><![CDATA[桓武天皇]]></category>
		<category><![CDATA[諸司田]]></category>
		<category><![CDATA[院宮王臣家]]></category>

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		<description><![CDATA[平安時代初期の地方や貴族の変化について考えてみます &#160; &#160; ・地方と貴族の変化について &#160; 　・８世紀の後半から９世紀に、農民の間で貧富の差が拡大したが、裕福な農民も貧乏な農民も 　　様々な [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1125">平安時代初期の地方や貴族の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>平安時代初期の地方や貴族の変化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・地方と貴族の変化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８世紀の後半から９世紀に、農民の間で貧富の差が拡大したが、裕福な農民も貧乏な農民も</p>
<p>　　様々な方法で、負担から逃げようとした</p>
<p>　　→そのため、戸籍には偽籍が増え、班田収授の効果が弱くなった</p>
<p>　　　※偽籍・・労役、租税、兵役を負担する男子の登録を少なくするという、</p>
<p>　　　　　　　　ウソの記載のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のようなことがあったため、桓武天皇は以下のような対策を行った</p>
<p>　　　・班田収授を活発にさせるために、６年周期だったものを、１２年周期にした</p>
<p>　　　・公出挙の利息の利率を５割から３割にした</p>
<p>　　　・雑徭の期間を６０日から３０日にした</p>
<p>　　　　→このように、農民の負担を軽くしたものの、効果は無かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・負担がダメになっていき、国家の財政の維持が難しくなってきた</p>
<p>　　→そこで、政府は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・国司や郡司が租税を徴収する時に不正したり、徴収していなかったりする場合を</p>
<p>　　　　取り締まることにした</p>
<p>　　　・８２３年に太宰府で公営田を、８７９年に官田（官の田んぼのこと）を作って、</p>
<p>　　　　財源を確保しようとした</p>
<p>　　　　※公営田で農民に無給の強制労働を行わせることにして、</p>
<p>　　　　　公営田で収穫された物を全て国のものとした　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、時が流れるにつれて、スタイルが変わってきた</p>
<p>　　　・中央の各官庁が財源となる諸司田（役所の田）を持った</p>
<p>　　　・官人が墾田を自分で集めた</p>
<p>　　　　→そのため、中央の各官庁や官人は国家財政に頼る必要性が弱くなってきた</p>
<p>　　　・天皇が勅旨田（天皇の命令で、公費によって開墾された土地）を持つようになった</p>
<p>　　　・優秀な皇族に、天皇から賜田（天皇が与えてくれた田）が与えられた</p>
<p>　　　・天皇と親しい関係にある人（少数の皇族や貴族）は院宮王臣家と呼ばれ、</p>
<p>　　　　自分達で土地を集めて国家財政にダメージを与えつつ、自分達の権力を高めていった</p>
<p>　　　　　※下級の官人や有力な農民は、有利な立場に立つために自分から進んで</p>
<p>　　　　　　院宮王臣家の下につくようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・地方と貴族の変化についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1125">平安時代初期の地方や貴族の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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