平安時代初期の地方や貴族の変化について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/22 00:40      
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平安時代初期の地方や貴族の変化について考えてみます

 

 

・地方と貴族の変化について

 

 ・8世紀の後半から9世紀に、農民の間で貧富の差が拡大したが、裕福な農民も貧乏な農民も

  様々な方法で、負担から逃げようとした

  →そのため、戸籍には偽籍が増え、班田収授の効果が弱くなった

   ※偽籍・・労役、租税、兵役を負担する男子の登録を少なくするという、

        ウソの記載のこと

 

  →上のようなことがあったため、桓武天皇は以下のような対策を行った

   ・班田収授を活発にさせるために、6年周期だったものを、12年周期にした

   ・公出挙の利息の利率を5割から3割にした

   ・雑徭の期間を60日から30日にした

    →このように、農民の負担を軽くしたものの、効果は無かった

 

 

 ・負担がダメになっていき、国家の財政の維持が難しくなってきた

  →そこで、政府は以下のようなことを行った

   ・国司や郡司が租税を徴収する時に不正したり、徴収していなかったりする場合を

    取り締まることにした

   ・823年に太宰府で公営田を、879年に官田(官の田んぼのこと)を作って、

    財源を確保しようとした

    ※公営田で農民に無給の強制労働を行わせることにして、

     公営田で収穫された物を全て国のものとした       

 

  →しかし、時が流れるにつれて、スタイルが変わってきた

   ・中央の各官庁が財源となる諸司田(役所の田)を持った

   ・官人が墾田を自分で集めた

    →そのため、中央の各官庁や官人は国家財政に頼る必要性が弱くなってきた

   ・天皇が勅旨田(天皇の命令で、公費によって開墾された土地)を持つようになった

   ・優秀な皇族に、天皇から賜田(天皇が与えてくれた田)が与えられた

   ・天皇と親しい関係にある人(少数の皇族や貴族)は院宮王臣家と呼ばれ、

    自分達で土地を集めて国家財政にダメージを与えつつ、自分達の権力を高めていった

     ※下級の官人や有力な農民は、有利な立場に立つために自分から進んで

      院宮王臣家の下につくようになった

 

 

 

ポイント

・地方と貴族の変化についてを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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