律令国家の時の民衆について -口分田と様々な負担-
律令国家の人々と口分田やその他の負担について考えてみます
・律令国家の時の人々について
・律令国家の時、人々は戸主という人を代表者にした戸(郷戸)に所属する
というスタイルで戸籍や計帳に登録された
→50戸が1里になるように、里が作られた
※・戸籍・・名前や課税の把握を目的として作られた文章の書類のこと
・計帳・・調と庸を振り分けるための帳簿のこと
・戸を単位として、口分田が分け与えられ、税を納めることが必要になった
※口分田について
・男子は2段(360歩)、女子は男子の3分の2、
奴婢は良民の男女のそれぞれ3分の1ずつが与えられた
・戸籍が6年ごとに作られ、その戸籍に合わせて6歳以上の男女に
一定の口分田が与えられた
・口分田の売買は禁止されていた
・死んだ人の口分田は6年ごとの口分田を与える時に回収した
=口分田について決められた、以上のようなルールのことをまとめて、
班田収授法と言う
※班田収授法には、豪族が土地や人民を支配するのではなく、
国家が直接人々を支配しようとする狙いがあったが
結果的には、官吏である地方豪族の協力が必要だった
・当時は条里制という、土地の区分の制度が採用されていた
・律令国家の時は、租、調、庸、雑徭などの負担が必要になった
(この時の負担は、男性のみだった)
※それぞれの負担について
・租・・口分田で収穫した稲について、田1段につき2束2把(収穫の約3%)を
中央政府に納める負担のこと
・調・・絹や糸など、その土地の特産品を一定量中央政府に納める負担のこと
・庸・・都での労役10日間を行わない代わりに、布を2丈6尺中央政府に
納める負担のこと
→調と庸は、運脚(都まで運ぶ)の義務があった
・雑徭・・60日以下の地方での労役を行う負担のこと
※調、庸、雑徭には、年齢によって違いがあり、正丁、次丁、中男に分けられた
・正丁・・21~60歳の男子のこと
・次丁・・61~65歳の男子のこと
・中男・・17~20歳の男子のこと
→年齢によるそれぞれの負担の違いについて
・調・・正丁は一定量、次丁は正丁の2分の1、中男は正丁の4分の1
→正丁だけは、染料なども納める必要があった
・庸・・正丁は布を2丈6尺、次丁は正丁の2分の1、中男は無し
→京と畿内は全員無かった
・雑徭・・60以下の労役、次丁は正丁の2分の1、中男は正丁の4分の1、
→後で雑徭は半減された
・その他の負担について
・特別な制度として、出挙(公出挙)というものがあった
※出挙・・国家が春に稲を貸し付けて、秋の収穫の時に、
高い利息と一緒に春に貸した稲を返す制度のこと
・兵役があった
→・成年男子の3~4人に1人の割合で強制的に兵士として選ばれた
・兵士は、軍団という軍事組織で訓練を受けた
・兵士の一部は衛士や防人になった
※・衛士・・宮城の警備を行う人のこと
・防人・・九州の沿岸を守る人のこと
・兵士の武器や食料は自分で用意することが原則だった
※兵士は、家族の労働力を取られるという意味で、人々に大きなダメージとなった
・当時の民衆の中での身分制度について
・当時は良民と賎民に分けられた
→賎民には、政府が管理する陵戸、官戸、公奴婢と、私有の家人、私奴婢の5種類がいた
=この5種類のことをまとめて、五色の賎と言う
※賎民の割合は人口の数%だった
ポイント
・律令国家の時の人々についてを押さえる
このあたりが今回のポイントです