飛鳥朝廷について② -東アジアの動向の中での日本の動きについてー

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投稿者:       投稿日時:2013/10/21 18:11      
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飛鳥朝廷について、東アジアの動向の中での日本の動きについて考えてみます

 

 

・東アジアの動向の中での日本の動きについて

 

 ・日本国内では、大臣である蘇我馬子が587年に物部守屋を倒し、

  592年に崇峻天皇を暗殺することで日本政治の権力を握った

  →その後、敏達天皇という人の后である推古天皇という人が、新しく天皇として即位した

 

 ・推古天皇の政治は、蘇我馬子や、推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが

  協力することで行っていた

 

 ・聖徳太子によって、603年に冠位十二階、604年に憲法十七条が作られた

  ※・冠位十二階・・個人の才能や功績に対して冠位を与えることで、

           氏という単位の王権の下での組織を変えようとした

           →ただし、蘇我氏は冠位を与えるほうなので、冠位は無い

   ・憲法十七条・・豪族に官僚としての心構えを教えることと、

           仏教を取り入れようとすることを提唱した

 

   ※なぜ、冠位十二階や憲法十七条を作ったのか

    →中央集権体制を作りたかったから

     =権力を中央に集めたかった

 

 

 ・中国との交流も活発に行われるようになった

  →・607年に初めての遣隋使として、小野妹子という人が中国に行った

     ※この時、隋への日本からの手紙は、中国の皇帝である煬帝に貢ぐスタイルを

      取らなかったので、無礼だとされた

     ※618年に隋が無くなり、唐が出てきた

   ・630年に初めての遣唐使として、犬上御田鍬という人が中国に行った

   ※高向玄理、南淵請安、旻などの留学生や学問僧は、遣隋使について行き、

    中国の制度、文化、思想などの新しい知識を日本に伝えた

 

 

 

ポイント

・東アジアの動向の中での日本の動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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