仏教の受容と展開について -仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合-

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投稿者:       投稿日時:2013/11/15 04:09      
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仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。

 

 

・仏教の伝来について

 

 ・仏教が伝来されるまでの流れ

  →・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人(=百済からの渡来人)によって

    儒学が取り入れられた

   ・その後、6世紀中ごろに仏教が朝鮮半島を通って日本に入ってきた

   

   ※この時、祭祀などを排除しないで、むしろ、元々存在している儀礼を

    より豊かにする形で儒教や仏教が取り入れられていった

    →和辻哲郎は、このような仏教の受け入れ方の特徴を、文化の重層性と呼んだ

   

   ※当時、仏は蕃神(あだしくにのかみ)=外国から新しく入ってきた神 

    と呼ばれた

 

 

 

・仏教と聖徳太子について

 

 ・聖徳太子とは・・

  →・この人は、仏教を初めて思想として表現した

   ・法華経(ほけきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)、維摩経(ゆいまきょう)を

    まとめて三経と言い、聖徳太子は、三経のそれぞれの注釈書である、

    「三経義疏」を作った

 

 ・聖徳太子は、憲法十七条を制定した

  →憲法十七条の冒頭で、「和をもって貴しとなす。逆らうことなきを宗となせ。」

   と述べた

   ※どういうことか・・政治を行う人で、上に立つ人は下の人に和やかに、

             下の人は上の人に逆らってはいけないと考えた

  

  ※憲法十七条の内容の他の条では・・

   ・仏と法と僧の三宝を敬うべきである

   ・怒りやねたみを捨てて、是非や善悪を自分で勝手に判断するな

   ・自分の間違いを恐れ、重要な事柄を決定するときは多くの人の意見に従え

    などということが述べられていた

 

   →このようなことから、聖徳太子はどのように考えていたのか・・

    =聖徳太子は、仏から見れば、

     全員が「凡夫」(欲望や執着に捉われている愚かな存在)だと考えた

 

 ・聖徳太子の遺言

  ・聖徳太子は、「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」という遺言を残した

   →これは、どういう意味なのか

    =貧富や身分の上下、賢いか愚かかは、見かけの姿でしかないから、

     貧しい人や身分の低い人と対応する時は、その人の心を意識しなければいけない

     と考えた

 

 

 

・奈良仏教の流れ

 

 ・奈良仏教の根本

  →奈良時代の仏教は、鎮護国家(災厄を鎮め、人々の苦しみをやわらげ、

   国家を無事でやすらかにすること)として、盛んになっていった

 

 

 ・奈良時代に活躍した人々

  

  ・行基-・法相宗を学び、私度僧(朝廷の承認なしに出家する人々のこと)の

       指導者として活躍した

      ・吉凶禍福(幸福や不幸)や善悪について考え、

       無料宿泊施設や毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)などの造立に参加した

 

  ・鑑真-・東大寺という所に

       戒壇(出家を目指す人に戒律(修行する人の生活上のルール)を与える場所のこと)

       を作り、受戒制度(戒律を受け取る制度のこと)を確立した

      ・南都六宗(三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の総称)が生まれ、

       教説(学問上の説)を学んだ

 

  ・聖武天皇-・国分寺と国分尼寺を建て、

         金光明経(国王が祈れば国が救われるという考え方の経典)を読んで、

         五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)と災厄を鎮めることを祈った

        ・東大寺に毘盧遮那仏(華厳経の仏)を建て、

         国家の安泰(無事でやすらかにすること)を祈った

 

  ※当時、私度僧に対し、朝廷の承認があってから出家した人を官僧と呼んだ

 

 

 

・平安時代の流れ

 

 ・平安時代の根本

  →厄病除けなどの現世利益(神や仏からもらえるこの世での幸せのこと)のために、

   加持祈祷(仏や神が人々を助けるよう祈ること)が盛んに行われた

 

 

 ・平安時代に活躍した人達

  

  ・最澄-・「顕戒論」や「三家学生式」という本を書いた

      ・天台宗を学んで、比叡山に延暦寺を建てた

      ・大乗菩薩戒(大乗仏教の戒)だけ受戒できることを目指した

      ・一切衆生悉有仏性(命あるものは全て仏になる可能性を

       持っているという考え方)を強調した

 

  ・空海-・「三教指帰」や「十住心論」という本を書いた

      ・密教を学び、真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を開いた

       ※密教-釈迦が悟った真理のことで、大日如来という仏が

           受け入れていると考えられていた

      ・即身成仏(決心さえすれば誰でも仏になれるという考え方)を強調した

      ・曼荼羅(仏の知の世界を図にしたもの)を伝えた

       ※曼荼羅は、慈悲の表れだと言われている

 

 

 

・末法思想と浄土信仰について

 

 ・浄土信仰に関連して活躍した人達について

 

  ・空也-市聖と呼ばれ、南無阿弥陀仏を称えながら、浄土信仰を広めた

   ※浄土信仰・・仏や菩薩が支配する浄土という世界に憧れる信仰のこと

 

  ・源信-・「往生要集」という本を書き、次に生まれてくる時に

       どうすれば極楽浄土という場所に行けるかを考えた

      ・阿弥陀仏が人々を極楽浄土に迎えにくる様子を書いた

       →これを来迎図と言う

 

  ・慶滋保胤(よししげのやすたね)

   →「日本往生極楽記」というのを書き、極楽浄土に到着した人達の話を集めた

 

 

 

・末法思想について

 

 ・末法思想とは・・仏教が正法、像法、末法と衰退していくという考え方のこと

 

  ※正法・・教(教説)と行と証がある

   像法・・教と行がある

   末法・・教がある

 

  →人々は末法に進むにつれ、不安に駆られた。

   そのため、厭離穢土や欣求浄土に魅かれていった

 

 

 

・神仏習合について

 

 ・日本では、仏が神や死者に関わる儀礼と結びついて仏教が浸透していった

  →このように、仏と神を合わせてそれぞれの良いところを

   選び取る考え方を神仏習合と言う

 

 ・神仏習合に関連する事柄について

  

  ・修験道-・奥山に入って、神に関わる儀礼と仏教の教説を学ぶこと

       ・開祖は役小角で、修験道を行った人は山伏と呼ばれた

 

  ・本地垂迹説-仏が神という姿を借りて現れるという考え方

   ※仏=本地、神=垂迹・・権現 というように考えられた

 

 

 

ポイント

・仏教が入ってくる流れを抑える

・聖徳太子の思想、十七条の憲法、遺言を抑える

・奈良仏教の根本(鎮護国家)と行基、鑑真、聖武天皇の思想を抑える

・平安仏教の根本(現世利益・加持祈祷)と最澄、空海の思想を抑える

・浄土信仰に関連した人として、空也、源信、慶滋保胤を抑える

・末法思想=仏教が最終的に末法に衰退していくという考え方

・神仏習合、修験道、本地垂迹説を抑える

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