古代日本の考え方について
古代日本について考えてみます
・崇り神について
・神は、当時外部の世界から突然やってくる存在だと考えられていた
→折口信夫という人は、神を「客人(まれびと)」と呼んだ
・崇り神とは・・飢饉や地震などの自然災害を起こす神様のこと
※神は、鳥や草木など、様々な形になって人々の前に現れたと考えられた
→人々は、このような神は八百万の神(数多くの神々)として現れたと考えた
・生み出す神と祀る神について
・そもそも神とは・・激しく、荒々しく世界を破壊するが、
落ち着くと穀物の豊かな実りと穏やかな暮らしを
もたらす存在だと考えられていた
→そこで人々は、神を落ち着かせることを目指して、
祭祀(神や先祖を祀ること)を行った
・神の種類と場所について
・アマテラス大神(天照大神):祭祀を行う神のこと
・和辻哲郎は、外部から来る神を祀られる神、祭祀を行う神を祀る神として区別した
・高天原:祭祀を行う場所のことで、橋渡しの場所(辺境世界)にあった
・葦原中国について
・葦原中国とは・・イザナミの命という神が、イザナキの命という神と一緒に
整えた場所のことで、人々が生活している日常の場を指す
※ただし、イザナミの命は火を生み出した時に、病にかかって死んでしまったため、
人々が生活している日常の場は、整えが未完全だと言われている
・黄泉国について
・黄泉国とは・・死んだ人が住む世界のこと
※黄泉国の歴史について
→・黄泉国は、イザナキの命が、死んだイザナミの命を追いかけて
たどり着いた場所だと言われている
・イザナミの命は黄泉国の神となった
・イザナキの命は、黄泉国の穢れ(汚れ)を洗って清めようとして、
禊(穢れのある人が体を洗い清める儀式のこと)を行った
※その時に、イザナキの命が左目を洗ったらアマテラス大神が、
鼻を洗ったらスサノヲの命が誕生した
→このことから、「死」は「生」の根本である、ということが言える
・清き明き心(清明心)について
・清き明き心とは・・神を騙したり、神に嘘をついたりする気持ち(=濁心)がないこと
→清明心は、禊と同じように重要視された
※アマテラス大神は、スサノヲの命が高天原を奪うかもしれないと思い、
スサノヲの命に清明心を聞いたと言われている
→スサノヲの命は、「うけひ」という呪術を行ったことで、
清明心が証明されたと言われている
・罪と祓ひについて
・ここでいう「罪」とは・・祭祀(神や先祖を祭ること)を妨げることを指す
※スサノヲの命は、アマテラス大神の祭祀を妨げたと言われている
→スサノヲは、罪をつぐなうために「祓ひ(祓へ)」を行ったが、
結局スサノヲは高天原から追い出され、葦原中国に行った、という流れがある
※祓ひとは・・物品を献上(差し上げる)すること。
禊とは異なる。
※以上のような、スサノヲの命の物語は、後の時代の様々な物語の原型と言われ、
「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」と呼ばれている
・自然の扱われ方
→昔は、崇り神として祭られていたが、時代が進むにつれて、
花鳥風月(自然の美しい風景)として捉えられた
ポイント
・崇り神として、折口信夫の客人(まれびと)、八百万の神を抑える
・神を落ち着かせるために祭祀があり、アマテラス大神、祀られる神、祀る神、高天原
などがある
・葦原中国に、イザナミの命とイザナキの命が関係していて、
そもそも葦原中国が何かを抑える
・黄泉国とその歴史を抑える
・清明心の意味、アマテラス大神とスサノヲの命の関係などを抑える
・罪と祓ひとは何かを抑える
・「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」と自然の扱われ方を知っておく