近代の日本での哲学について -西田幾多郎と和辻哲郎-
近代の日本での哲学について考えます
・近代の日本の思想の背景
→西洋の哲学を取り入れて、「生きるための支えになるものは何か」ということを
考えて思想が展開された
・・代表的な人が、西田幾多郎と和辻哲郎という人である
・西田幾多郎-・「善の研究」という本を書いた
→その中で、直接で具体的で根本的な経験を純粋経験と呼んだ
※例:音楽に聞き惚れ、音楽そのものになりきっている状態
歌をうたっていたら、まるで本人になりきったような状態etc
・純粋経験の時、主体と客体(音楽を例に取ると、
音楽に聞き惚れている人と音楽そのもの)は分かれていないと考えた
→このような状態を主客未分と言う
※気持ちとモノを分けると、純粋経験を分析したり反省したりすることで
把握するため、純粋経験が抽象的になってしまうと考えた
・西田幾多郎は、「経験あって個人あり」と言った
(個人があっての経験ではない)
→土台は純粋経験で、これを分析して把握する時に自分を見つけ出せると考えた
・善とは、人格(≒徳)の実現である、と考えた
※人格の実現とは・・人々が本当の自分と出会うこと
→そのためには、純粋経験を成り立たせているための根本的な部分に
従うことだと考えた
※西田幾多郎は純粋経験をさらに深め、追求し、絶対無の場所という
考え方を提唱した
※また、坐禅の体験を根底に純粋経験という考え方を生み出した
・和辻哲郎-・人間は、間柄的存在であると考えた
→人間は孤立した個人と集団で扱われる社会の間に存在すると考えた
※個人と社会の間には、個人を自覚した上で社会に個人が入っていく
という関係があると考えた
→この関係が崩れると、利己主義(自分の利益を重視して、
他人の利益を無視するような考え方)や
全体主義(個人を抑圧するような考え方)に陥るとも考えた
※和辻哲郎は、儒学の影響を受けて間柄的存在を考えた
→西田幾多郎と和辻哲郎は、元々の思想に、
西洋近代哲学を取り入れて発展させようとした
ポイント
・近代の日本の思想の背景に、西洋の哲学を取り入れることで生きるための支えを
考えたという部分がある
・西田幾多郎は、「善の研究」を書き、主客未分の上での純粋経験が大切だと考えた
・西田幾多郎は、「経験あって個人あり」と考え、善は人格の実現だと考えた
・西田幾多郎は、絶対無の場所という考え方を提唱し、
坐禅の体験をもとに純粋経験という考え方を生み出した
・和辻哲郎は、間柄的存在という考え方を提唱した